俳句とは何だろう ……鴇田智哉
第12回 俳句における時間 12 (シリーズ最終回)
初出『雲』2007年12月号(改稿)
鴇田 どうも、こんにちは。それにしても、走って作る俳句の実験、ご苦労さまでした。
乱父 とんでもないです。ただ、「実験」と言われても、私としてはこれが「実験」なのだと意識することはありませんでした。いつも走っているか、それに近い状態だったので。
鴇田 え、そうなんですか?
乱父 当たり前じゃないですか。「実験」だと名づけたのはあなたであって、私ではありません。
鴇田 すみません。
乱父 さっきあなたから教えられて初めて、あれが「実験」だったのだ、ということを知りました。いや、正確にいうと、あれが「実験」と名づけられ、「実験」と呼ばれるものであるということを知ったのです。私は言葉を知りませんから。
鴇田 え、それはおかしいですね。あなた、言葉を使っているじゃないですか。
乱父 あ、今は例外です。この対談のためにあえて言葉で話しています。でも、走っているときは言葉を知りません。
鴇田 それがおかしいと言っているんです。あなたは走っているときも、言葉を使って俳句を作っていたじゃありませんか。
乱父 ちゃんとには知りません。だいたい、あまり意味を踏まえていないんです。それに、あなたが言うように、「言葉を使っている」という意識はありません。あえていうなら「言葉を話している」という感じです。いや、むしろ「言葉が言っている」と言ったほうがいいかも知れません。つまり、「言葉が勝手に言っている」ということです。意味を考えずに言葉は、すらすら出てくるときがあるのです。そして、言葉が口から出た次の瞬間には、私はもうほとんどいなくなっていて、そのあとは鴇田さんが言葉を「使って」いました。
鴇田 そうですか。でも、あなたは今、「意味を踏まえていない」と言いましたが、実験の中でできた句には、まったく意味がないわけでもなかった。また、かなり意味のある句もあったのではないですか。
乱父 その理由は二つあります。一つは、そのそも言葉には意味があるということです。もう一つは、あなたの推敲が加わった時があるということです。あなたが推敲すればするほど、意味が出てきます。また、あなたはたまに、「意識的に」意味を無くそうとしていることもあるようですが、完全に意味を無くすことは無理ですよ。
鴇田 わかりました。では、今あなたが言っていることと「時間」とは、どのように関係があるのでしょう?
走っているとき、時間はどのように流れていましたか。
乱父 あまのじゃくなことを言うようですが、時間は決して「流れ」ません。流れているのではなく、ボヤンと広がっているのです。
鴇田 「広がっている」ということは、「時間」の話ではなく「空間」の話ではないですか?
乱父 違います。あなたは、時間は「流れ」であり、空間は「広がり」であると思っているでしょう。実は、そうではありません。流れでもなく広がりでもなく、ボヤンと開けているものこそが「時間」です。いや、もっと正確に言えば、開けているというより、「ボヤンとある」。いや、「ある」とも言いたくない。つまり、「ボヤン」そのものが「時間」です。
鴇田 時間は流れるものではないのですね。
乱父 形はないんです。それを、形ある言葉にして「時間」だと呼んでいるんです。名づけているんです。いくら私だって、名づけることをしなければ、言葉を語れないのですから。言葉を使ってあなたにつき合っているんですよ。ただ、「時間」と言った瞬間に、それは「流れる」ものとなってしまう。時間という「言葉」には、「流れる」という意味が含まれてしまっているからです。私はほかに言いようがないから仮に「時間」と呼んでいるのですが、そう呼ぶとき私は、「時間」という言葉から「流れる」という意味を抜き去ってしまいたい。そういうことです。
鴇田 わかりました。すると、乱父さんにとって「空間」とは、どこにいってしまうのでしょう。
乱父 思い切って言えば、「空間」はありません。空間は、あなたの頭の中で考え出されたものです。でも時間は、考える以前に「ボヤン」とあるのです。
鴇田 え、空間は無い? まあいいでしょう。でも、さっきあなたは、流れでもなく広がりでもないものが「ボヤン」だと言いました。その「ボヤン」を、「時間」と呼べるのなら、同じ理由で「空間」と呼んでも差し支えないのではないですか。
乱父 う、痛いところをついてきますね。そ、それは今言ったように、「時間」だと「仮に」呼んでいるに過ぎません。ただ、同じ「仮に」呼ぶにしてもですよ、私は「空間」とは呼びたくないのです。なぜなら、「空間」という言葉には、「形」という意味が含まれています。形無きものを、形ある「空間」という言葉では呼びたくないのです。
鴇田 乱父さん、それはちょっと屁理屈に聞こえます。ものの言い方がちょっと私に似てきましたね。さては、私の見ない隙に何か哲学書でも読みましたか。まあ、それはともかく、どちらにせよ「仮に」呼ぶだけならば、「時間」という言葉に拘らないで、「空間」と呼んだっていいはずじゃないですか。それに、あなたは普通の意味で言う「時間」つまり流れと、「空間」つまり広がりとを認識しているはずですよ。その証拠に、走っていて自動車にぶつかったこともないし、走りやすい地面を選んで走っていたじゃないですか。
乱父 いや、自動車を避けたり地面を選んでいたのはあなたです。走るという行為は百パーセント私の働きではないですよ。
鴇田 なるほど、確かに私の意志で物を除けたりしていることもあります。そんな時は、鴇田九〇パーセント、乱父一〇パーセントぐらい割合で、走るという行為が成立していたのかもしれません。しかし、私が意識せずとも自然にすいすい足が動いていることがありました。走っていて調子が出てくると、わたしは何か乗り物にでも乗っているかのように感じ初め、自分が「走るという動作」をしていると思っていない状態の時がありました。それでも木にぶつかったりはしなかった。その時に限っていえば、鴇田一〇パーセント、乱父九〇パーセントぐらいの割合で、走るという行為が成立していたのではないですか。
乱父 なるほど、言われてみればそうですね……。ああそうか! ありがとう鴇田さん、危うくあなたになるところでした。どうも言葉を使っていると、内容が論理へと、そして極端へと傾いてしまいます。わたしは「時間」という言葉に拘るあまり、「空間は無い」という極端な決めつけをしてしまいましたが、それが間違いでした! 私としたことが、言葉にとらわれてしまったのです。そうです、言葉をできるだけ取り払って思い返してみると、私が言う「ボヤン」は、確かに広がり(空間)らしきものを含んでいます。「ボヤン」の中には、流れ(時間)らしきものと広がり(空間)らしきものの両方が含まれているのです。でも、いつもは、流れや広がりをくっきりと認識する前に私はいなくなってしまい、くっきりと認識した瞬間にはあなたが現れるのです。そしてあなたが、言葉を言葉として使い始めるのです。ただ、今日の私はいつもと違って言葉を話していますから、流れや広がりをいつもより強く認識ができるようになってはいるのですが。
鴇田 なるほど、では、その「ボヤン」を「時間」と呼ばず、たとえば「時空」などと呼んでみたらいかがでしょう。
乱父 それは嫌です。「時空」という言葉には、一般に使われる言葉としては、胡散臭い手垢がつきすぎていますから。「時空」と言った瞬間に、何かわかったような気になってしまうところがいけません。私はせめて、「ボヤン」ぐらいで勘弁してほしい。もう「時間」とも呼びたくない。でも、あなたが使う言葉としては、「ボヤン」では恰好がつかないでしょうから、どうぞ「時間」とも「時空」とも呼んでください。
鴇田 そうですね、「ボヤン」はちょっと(笑)。しかし、私も「時空」は嫌なので、言葉としては「時間」と呼ぶ以外にないようです。もう分かっているとは思いますが、あなたがさっき私になりかけていたときに言ったように、私は「空間」という言葉ではなく、「時間」という言葉で、それを呼びたいのです。
ところで、ここでともかく言えることは、走るという行為は、その都度二人の働くパーセンテージは違えど、私とあなたの共同作業だったということですよね。
乱父 そう思います。そして、走りながら俳句を作るという行為も、これと同じ共同作業ですよ。「推敲」を後であなたがしてくれたという意味で共同作業なのではなく、そもそも走っていて、句が口から出た時点で共同作業だったということです。本当の私は言葉を知らないのですから、句が口をついて出たその瞬間に、既にあなたが関与しているのです。その都度、二人の働くパーセンテージは違いますがね。あなたは前に「ゲシュタルト」とか言っていましたね。実験で生まれた句がその「ゲシュタルト」であるとすれば、あれは、あなたと私との瞬間的な共同作業の中で紡がれたものです。
鴇田 すると、私が実験の中で出来た句に、「乱父」と署名したことは、厳密にいうと間違いですね。
乱父 そりゃそうです。作者名としての「乱父」と本来の乱父は違います。ただ、私は今ここでは、あなたとの対談をするために「例外的に」言葉をしゃべっていますから、作者名としての「乱父」にかなり近い存在にはなっております。
鴇田 乱父さん、あなたは本当は言葉を知らないのに、今日は言葉を使った話に付き合ってもらってありがとうございました。
乱父 こちらこそ、ありがとうございました。こういうのもたまには楽しいですね。では、私は消えることとします。(ボヤン)
この辺で、このたびの「時間」の話はひとまず終わりである。
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