2013-11-24

2013落選展を読む(3) 目に映るすべてのことは 三島ゆかり

2013落選展を読む(3)
目に映るすべてのことは

三島ゆかり


9 高梨 章「病室」

「病室」というタイトルからすると病中吟なのかも知れないが、ばらばらに季節が立ちあらわれ、どこか人外魔境をさまよう体でもある。挙句の「宇宙船」が全体をぶちこわしにしているような気もするが、それも含めて作者の持ち味なのだろう。

つぎつぎに翼を折りて山眠る  高梨 章

「山眠る」の前で切れる読みも可能だが、冬の連山を鳥に見立てたものと読みたい。季語「山眠る」に本来時間の推移はないはずだが、、「つぎつぎに翼を折りて」からは、日が傾くにつれ刻々と山の表情が変わって行くさまが感じられる。

人ならば先に行かせて秋の暮 同

ふつうの生活人を「どうぞ先に行ってくれ」とばかりにやり過ごし、秋の暮と同一化するのだろう。そこには人でないものとの交感もあるのだろう。

百合咲いて這ふものたちの夜となる 同

「這ふもの」が何かは特定していない。百合の香に呼び覚まされた魑魅魍魎の類であろう。

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10 津野利行「餃子」

餃子にフォーカスを当てるなら、ハンバーガーだのアイスクリームだの水羊羹だの白玉だの出さない方が作品としてはまとまるような気がするが、あえてそうしないのは、その程度の食物だけど…という愛着の証しなのかも知れない。
作業着のままに地べたの花見酒〉〈手袋のままに手術を待ちにけり〉に見られる「に」の使い方が独特である。

子離れは先送りして花は葉に 津野利行

面白い取り合わせである。時が移ろい花は葉になるというのに、私はまだ子という花に夢中である、ということなのだろう。「先送り」というぜんぜん詩的でない措辞がじつに効いている。

足袋底の松に跨る松手入 同 

まず足袋底が目に入ったのだろう。「松に跨る松手入」のリズムがたいへん心地よく、ユーモラスな光景である。

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11 ハードエッジ「ならば踏めよと」

身も蓋もない諧謔に持ち味があるようである。

灯台に蛾が張り付いてゐたりけり ハードエッジ

ぼてぼてに塗り重ねられた灯台の白い肌に(たぶん)死んだ蛾が張り付いている。それだけの景だが、「ゐたりけり」という一見冗長な措辞によって他のいっさいを消し去っているため、強い印象がある。

数へるにしても短日ばかりなり 同

「数へ日」と「短日」を一緒くたにして詠んでみせた諧謔がじつに可笑しい。まこと師走はせわしない。

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12 堀下 翔「生年月日」

対象そのものではなく、名鑑、サイン帳、地図、自叙伝、映画などワンクッション置いたアイテムを巧みに並べることによって、じつに不思議な作品空間となっている。

エイプリルフールの棚に本を足す 堀下 翔

ユーミンの歌の歌詞に「目に映るすべてのことはメッセージ」というのがあったが、この句群を読んでいると「目に映るすべてのことはまがいもの」という気がしてくる。本句は何かしら種明かしのように存在する。

音のない泉であつち向いてほい 同

今という一瞬は「音のない泉」のようにこんこんと嘘のように湧いており、人は無心に「あつち向いてほい」のようなことに興じている。なんだかとんでもなく深くてクールだ。

秋雨の天涯万里髪を切る 同

「秋雨の天涯万里」という果てしなく閉塞的なイメージが下五「髪を切る」でまさに裁ち切られる快感。ここでも「目に映るすべてのことはまがいもの」なのだ。

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13 前北かおる「置炬燵」

オーソドックスで端正な写生句だが、50句中11句も「かな」があるのはいかがなものか。

時雨たる町のプラネタリウムかな 前北かおる

「時雨たる町の」までのひなびた旅情が「プラネタリウムかな」で一気に転じる、と最初読んだが、いささか余談めくと、かの悪名高い「ふるさと創生」により全国に三百以上のプラネタリウムがあるらしい。だとすれば、そこまでがひなびた旅情で、なにも転じていないのか。

冬帝を讃へ発電風車群 同

「冬帝」という季語自体が擬人法なのだが、それを主語とするのではなく讃える対象とし、主語と読めるように「発電風車群」を置いている。「発電風車群」に意思を与え冬帝と対峙させたところがよい。

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14 山下つばさ「祝福」

17音着地の5+6+6とか6+5+6とかのリズムを多用しているが、効果が感じられず読みにくいだけに終わっているような気がする。

心臓の高さに金魚棲まはせて 山下つばさ

「心臓の高さ」という突飛な措辞が卓抜である。金魚の赤さえ深い意味を持っているように思えてくる。さらにこの句を何度も反芻していると、「棲まはせて」はもしかすると眼前の水槽ではなく、自分の体内なのではないかという気さえしてくる。

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15 山田露結「幸せの人」

いちいち小技が上手い分、「これが俺の俳句だ」というのが目立たなくなり損をしているような気がする。

畳まれて四角き顔の鯉のぼり 山田露結

いかにも俳句的なトリックであり、こういうのが憎らしい小技なのである。

包帯を解かれし腕や更衣 同

「包帯を解かれし腕」に「更衣」を斡旋するというのも、憎らしい小技の類だろうか。

樹の瘤は樹の顔ならず冬に入る 同

樹の瘤に人の顔を見る俳句はいくらでもありそうだが、「樹の顔ならず」と云った俳句はあまりないのではないか。

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16 吉井 潤「光○追う人」

ほとんどの句が切れのない作りになっているので、奇をてらわない反面、自らハードルを上げてしまった感もある。

がらくたに春の怒濤を見つけたり 吉井 潤

作者をして「春の怒濤」と言わしめたがらくたを見てみたい。

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17 すずきみのる「過日」

「湖水」「京都駅」「水都」「四条」などを散りばめて、それとなくゾーンをほのめかしてまとめている。「変わり」「わらわ顔」など仮名遣いの誤りが惜しい。

春灯の範疇トイレ使用燈 すずきみのる
喫茶店などにある、トランプのキングやクイーンみたいなのが灯るあれを、「春灯の範疇」を云っておどけてみせている。

四条まで時雨の舌は届かざる 同

「時雨の舌」という措辞それだけでもよいのだが、「四条」「時雨」「舌」と頭韻を揃えたことにより、「時雨の舌」になんとも湿潤なエロスのようなものを感じる。地名のゆかしさもよい。

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