【2021落選展を読む 1】
……上田信治
1. 杉原祐之 ウィズ・コロナ ≫読む
日盛の外階段を降りにけり
踏み分ける度に蝗の跳ねにけり
臘梅の乾びながらも香るかな
いつもの杉原さんの作品ではあるのですが、ふしぎと今年は、穏当な季題趣味の範疇にある句にひかれました。
子育て周辺の事象をモチーフに詠まれた句が、いくつかあるのですが「虐待の噂も少し秋簾」この「秋簾」は、不穏すぎるのでは。季題をよく知っているだろう作り手の、こういう目配せは怖いですね(北大路さんが書いたらのだったら名句、というような句です)。
2. 西生ゆかり 回り出す ≫読む
材木を斜めに運ぶ蝉時雨
「斜めに運ぶ」ことの実態は確定しがたいけれど、ともかく長いものが「斜め」に運ばれていく。そのとき「蝉時雨」(降るかのように同じ空間を占めるもの)に角度のないことも、また意識せざるを得ない。
七夕や横顔のあるマグカップ
「七夕」といえば相聞であり「横顔」もまたそれにふさわしいのに、マグカップに印刷されたそれは、どこまでもバカバカしく、誰とも恋愛的関係を結びそうにない。
一斉に薔薇満開や歪め合ふ
手に薔薇の涼しさやがてやはらかさ
ソフトクリーム時計回りに山と谷
虫籠の持ち手がたまに立つてゐる
山眠る電子レンジに秒と分
目の幅を目玉が動くチューリップ
エイプリルフール顔いつぱいに顔
この人の句は、ブツがそのブツ性を露わにする瞬間を描くとき、ちょっと見ないタイプのおかしみを醸しだす。高級な一コママンガを文字で描くような、書き手なのかもしれない。
蛍烏賊一人になると夜が来て
「一人になると夜が来て」のフレーズの、かがやかしい当たり前さ、無意味さ、そしてさびしさ。なぜ「蛍烏賊」か? あいつら複数性を絵に描いたようだし、夜っぽいし、眼がいっぱいあるしね。
3. 斉藤志歩 水と茶(*) ≫読む
(*)一次予選通過作
キャベツ食ふ虫その穴をくぐりゆく
たしかに、虫はそうやって、食べつつ自分が作った穴をくぐりつつ、キャベツ世界を移動していくはずだ。じっさいに見られるものかどうかは分からないけれど、見えないところで虫はそうしているはずだという、いわば「キャベツ想望俳句」。おもしろい。
球場は地図に大きく鳥渡る
地図というのは鳥瞰図なので、われわれが地図を見ているとき、鳥もまた(われわれが地図を見るのと同じ画角をもって)われわれを見ている、そのとき意識される空間のすがすがしい大きさ。
ベランダより戻る電話を切りし顔
包まれてティッシュに透くる金魚の死
鳩時計鳩を収めて穴涼し
雪解や瞼の覆ふ目のかたち
蔦若葉ゆく電線を芯として
バス停にバスの沿ひゆく暮春かな
知的な把握が「写生」に加味するちょっとした面白み。それが、読み手と世界を(パズルをはめるように)関係づける。それは、西生ゆかり「回り出す」とも共通する方法だけれど、もちろん、そこにニュアンス、色合いの違いはあって、この作者の方法は、より「なるほど」感が強い。
4. 中矢 温 ほつそりと ≫読む
もう午後の貸ボート皆湖のうへ
そこを空間的に限りあるひろびろとした場所として描いていること、「もう午後の」というフレーズが、限りある遊びの時間はまだたっぷりと残されていることを示し、つまり時間的にもひろびろとしていること。そのくせ、この句の視点となる話者はボートには乗っていないらしいこと。どこをとっても、とても、休日らしくてよい。
これからと分かる芙蓉の盛りかな
美容師は雪の岩手に帰るらし
包丁のすこしの葱を濯ぎけり
日おもてや海豚笑ふと歯がずらり
春眠やミシンを強く勧められ
「紅葉狩吾と選びし真つ赤着て」「二人して手ぶらの影に寒鯉来」のような、ふつうにデートっぽい句もあるのだけれど、俳句にすることで、鮮度とか一回性が減ってしまっているような。それよりも「なんで美容師?」「なんでミシン?」という答のない句に、人がこの世界で生きているという感触がある。
(つづく)
1 comments:
上田様
相変わらず進歩の無い50句を鑑賞いただき有難うございました。
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