【2021年週俳のオススメ記事 10-12月】
今年もお世話にとしか
上田信治
10月は、記事少なめでした。
第754号、第755号は【空へゆく階段】の№52と№53が掲載。№53「『湯呑』の一句」爽波のいくつかの句に触れ、それらの句はモダニズムとか近代性とかとは「すこし位相のずれたところで爽波作品は作られていたし、これからも作られるのではないかと思う」「主宰の冒険宣言以降の最近の作品が「湯呑」の句と変わってきているのか、わたしはまだその端緒を見つけられないでいる」と結ばれている。
第756号、10句作品は恩田冨太さん「コンセント」。
【空へゆく階段】の№54は「青」のある号の編集後記から。以前から「思考の痕跡を残したくない」と思っていたけれど、いまはむしろ「わたしは、わたしのからだが動かしようのないはっきりしたものばかりで造られていることに気づいてしまった」つまり、消し去ろうとしていた自分の「思考」は、なにほどのものでもないと気づいてしまった、という意味のことを記していて、裕明の作品について考えるための重要な手がかりとなりそうな断章です(彼は、そう言いながらも、やはり俳句の未来を思考し続けた作家だったと思われるのだけれど、どうでしょう)。
そして【中嶋憲武✕西原天気の音楽千夜一夜】は、ソルティー・シュガー「ハナゲの唄」という意外すぎる一曲をとりあげています。
第757号、10句作品は、本多遊子さん「ウエハース」。
第759号は「2021角川俳句賞「落選展」」です。今年も多くのご参加を得ました。鑑賞記事を必ず書きますので、いましばらくお待ち下さい。
第760号は【週俳7月9月10月の俳句を読む】。自分の句についても、たくさん書いていただいていて、ありがたいことこの上ナシです。
第761号 10句作品は、花島照子さん「フェルマータ」。
【『ゴリラ』読書会】は、1985年に「海程」を一時離れた谷佳紀が原満三寿と結成した同人誌『ゴリラ』を、生駒大祐 小川楓子 黒岩徳将 外山一機 中山奈々 中矢温 三世川浩司 横井来季という、豪華なメンバーで読んでいこうという記事。
まずは「創刊号~5号を読む(前編)」と「同(後編)」が2号にわたって掲載されました。
生駒「例えば毛呂篤《鮫跳ねるや洸洸として了はるや》(第3号)も全部で17音で(…)韻律を工夫している感じを受けました。下五が下四に見える感じ。多賀芳子《象の鼻の半径手紙まつしろ》(第4号)の「まつしろ」の言い足りない感じが面白いやり方だと思うし、今も掘りつくされてはいない領域だと思います」
小川「毛呂篤《植木屋が光る多くさん光る多くさん》は、植木屋さんが一人なのか、複数いるのかはわからない。どちらでもいいなと思っていて。韻律の波に乗る心地よさを味わうだけで充分な気がします。さまざまな植木の葉の照り返しが葉擦れとともに押し寄せて来るような。「たくさん」ではなく「多くさん」としたところで「多」でぐっと踏み込んで読むが印象あります」
ほんの入り口のところでも、これぐらい面白い。句もはじめて見るものばかりで珍しいし、語られていることもずっと面白いです。
また、この号から、村田篠さんの【極私的姫路散歩】がはじまりました。
たちどまらずにどんどん歩いて行く筆者の視界に、第762号の第1回には、姫路城の門跡が女子校の裏門と一体化している写真が。第763号の第2回には「明珍火箸」の店が、登場します。第3回は、神社の丘にのぼって、たいへん青い空が印象的。散歩はまだつづくようです。
764号の10句作品は、田邉大学さん「優しい人」、765号は岡田由季さん「宴」です。
今年もお世話になりましたとしか、言いようがありません。引き続き、よろしくお願いいたします。
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