2007-10-07

週刊俳句 第 24 号 2007年10月7日

第 24 号
2007年10月7日

CONTENTS


振り子 「遺 品」10句  →読む

前田英樹氏講演
  「芸術記号としての俳句の言葉」を
  再読する              
……関 悦史  →読む

小特集
 俳句と詩の会 「高浜虚子を読む」
  →読む

〔俳句ツーリズム 第11回〕京都・滋賀篇その2
旅先での〝つまずき〟いろいろ  ……小野裕三
  →読む

句集好き〔3〕『現代俳句全集1』  →読む

後記+出演者プロフィール
  →読む




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振り子 遺品


振り子 
遺 品



郵 便 に 微 熱 あ り 鳥 渡 り け り

手 も 足 も さ び し き 秋 の 電 気 街

鳥・砦 の こ ら ず 照 ら す 夜 の 銀 杏

満 月 は 水 夫 の 匂 ひ さ せ て 歩 く

秋 風 や 紅 茶 の あ と は 畝 傍 山

彼 方 と い ふ 喇 叭 の 遺 品 あ り に け り

上 弦 の 月 よ り ほ か は 海 の 全 身

病 院 が 美 し す ぎ て み み ず 鳴 く

白 桃 の 深 紅 の 種 が の こ り け り

ヘ ラ ル ド 映 画 観 て 来 て 月 の 商 店 街





前田英樹氏講演「芸術記号としての俳句の言葉」を再読する 関悦史

前田英樹氏講演
「芸術記号としての俳句の言葉」を
再読する
                
……関悦史



去年の10月14日、「大南風忌」の席で前田英樹氏による講演「芸術記号としての俳句の言葉」が行われ、その記録が『-俳句空間-豈』第44号に掲載された。

この講演が俳人に何をもたらしたかといえば、人の記憶と感覚が織りなす広大な領域、その全てを俳句は一句の中に封じ込めうるのだという途方もない可能性、これまで「事物の報告に終わってはいけない」とか、「名句には永遠が孕まれていなければ」とか、「短くなくては言えないことがある」といった、実作者の側からはごく経験的・直観的にしか語られてこなかった領域を言語哲学的な見地から切りひらき、基礎づけて見せてくれたという、その一事に尽きる。

講演の前半で主に説かれたのは、生きていく上で有用である知覚(「食べられる/食べられない」)と、有用ではない感覚(「うまい/まずい」)との対立、そしてその両方によって二重に分節されている、われわれの身体や生のありようだった。

生活していく上では必要のない感覚、及びそれに基づく記憶も、その一切がわれわれの中には消えずに残っており、この感覚と記憶のカップルが芸術創造の源泉であるとされる。

前田氏の言い方では、「例えば十年住んだ家から引っ越したとしても、壁のシミとか障子の破れとか無意味な細部を何もかも精密に記憶の中でたどれる。(略)芸術はこの記憶、何一つ忘れずに沈殿する記憶に関わっています。こういう記憶のあり方を最大級に追求したのが、いわずと知れたプルーストの『失われた時を求めて』です。」(筆者が取った講演メモより)となる。

それら曖昧に弛緩した不要不急の膨大な過去の領域から、いま直ちに対応しなければならないピンポイントにまで収縮した領域(例えば「火事だ!」)にいたるまでまで、われわれの中にはその全てが残っており、記憶とは、その弛緩=収縮の反復の中で生成されるものだと前田氏はいう(一方同時に、言語自体にも「火事だ!」の場合のような、意味伝達だけが急務である指向対象-現実の火事-と密着した収縮の極から、ただの寝言のような弛緩の極までの大きな幅がある)。

そしてその生の全域にも等しい包括を芸術表現に転ずるのに、『失われた時を求めて』のように享受に長大な時間を要する「連続展開型」と俳句のような「凝結型」の二種類があり、俳句は凝結型であると話は続く。

つまり講演全体は、前半で芸術表現の全領域に共通する原理的な話題を概説し、最後に芸術内の一ジャンルである俳句にまでそれを敷衍するという構成になっている。

こうした文脈で語られるとき、俳句が凝結型の表現だということは、いささかも常識ではない。

俳句の本領を、事物の断片を鮮やかに切り取ることと捉えたり、または片言性や滑稽に求める立場、あるいは作者の心境・自画像・世界観を形象化してみせようとする《述志》的立場、また入門書の類によく見られる「俳句は短いからものが言えない、だから事柄の説明や主観的な心情は省くべきだといった」といった倒立した認識を示す決して少数ではないであろう立場に対し、プルーストの大長篇に匹敵する包括を一句の中に凝縮するといったこの野望は、荒唐無稽というむきもあるだろうがすがすがしく広やかであり、この講演は俳句はどこを目指すべきかについて一つの説得力ある見方を示したものと思われる。

包括を芸術表現に転換するには、その都度固有の図式が要ると前田氏はいう。

「しゃべる」というのは頭の中で完全に出来上がった文章を出しているだけではないですよね。丸暗記したものを棒読みするように出しているわけではない。

ベルクソンは「動的で抽象的な、図式のようなものがある」といっています。潜在的な図式ですが。

現に話された言葉とは別な次元があるんです。 図式自体もしゃべりながらどんどん修正されていきます。

これは身体の行動でも同じことです。

幅跳びとか三段跳びとかをしようとする場合、その図式が前もってあり、それを身体の職分に展開していくわけです。あるいはやったことのないバレエをやろうとする場合も図式があって、修練を積むにつれて抽象的な最初の図式に近づいていく。または途中で図式自体が修正されていく。

(筆者が取った講演メモより)

そして凝結型表現の場合「包括的な図式自体、その全体をすらも凝結型は表現することがある」と続く。図式それ自体の表現、「ある」ということ自体の表現とは、俳句においては、俳句の言語がその指向対象性・意味性をなんらかの仕方で超えることで、骨董の茶碗と同じようなモノという相貌を帯びる事態を指している。

言語は通常、いやおうなしに指向対象と結びついてしまうが(「コップを取ってくれ」といえば通常現物のコップが取ってもらえる)、ここではそうした道具的なあり方とは異なる次元での言語の組織化が果たされていることになる。

『芭蕉七部集』の中に

行春を近江の人とおしみける 芭蕉

知る人にあはじあはじと花見かな 去来

という句がありますが、この二句には無限の差があります。

去来の方は連続展開型の句で、滑稽(駄洒落だけ)です。芭蕉の句の「春」は単なる季節の一つとしての春ではありません。流れる時間の一切を包括した「春」です。「近江」もこの場合、指向対象(特定の地名)ではなく、あらゆる地名を包括しています。

そして「おしみける」。これも単に悲しいとか名残惜しいとかではなくて、人間のあらゆる感情を包括しています。

なぜこの言葉の組み合わせがこの包括の強度を持つか? これはわかりません。
(筆者が取った講演メモより)

図式それ自体の表現というのは、私見では自己言及性といったものとはあまり関係がなく、むしろ「枯木の花咲くに驚かず、生木の花咲くに驚け」「世界のなかに神秘があるのではなく、世界があることが神秘だ」といった認識が、眼前にそのまま形象化されてしまうことへの、畏怖の感覚をも伴う驚異におそらく近い(前田氏といえば高度に抽象的な事象を論ずる人という印象が強いが、一方では物質の実在に深く打たれる資質の持ち主でもあり、その資質による最高の成果のひとつが『セザンヌ 画家のメチエ』であろう)。

世界そのものに等しい領域がひとつの表現物にまとまり、眼前に置かれることへの奇跡感。

こうしたことは一目で作品全体を見渡すことができない連続展開型の表現では起こりにくい。長篇小説や交響曲において作者が当初潜在体として抱いていた図式を看取するには、一定の時間をかけて作品の全域を踏査した後、復元する作業が必要となる。

連続展開型の表現が世界全体に匹敵する包括をリアライズするためには、原理的には世界と等量の長さが必要とされるのではないか。むしろ連続展開型の方がどれほど巨大であっても断片なのだ。全容を一瞬で把握しうる凝結型の表現としての俳句の可能性がここに垣間見える。

詩でありながら凝結型である俳句の特異性とは、言い換えれば、世界が在るということの奇跡性にもっとも迫りうる詩形であるということである。

じつは講演の前半部分は、前田氏がライフワークとして展開してきた前田氏年来の関心事であり、その主著のひとつ『言語の闇をぬけて』で展開されている思考の思いきり簡単な祖述となっている。

『言語の闇をぬけて』は前田氏の著作のなかでもおそらく一二を争う晦渋な本であろう。言語論においてソシュールとベルクソンを組み合わせるという難事に挑んでいるからだ。

ソシュールの最大の業績は、「われわれが使う言葉以前に、システムとして言語がある、“事物と無関係に”言語というシステムがあるということを発見した」(質疑応答時の前田氏の発言)ことにある。

言語は事物を名指すためのただの道具などではない。それは物とも心とも無関係に別の領域を形成している。「言語は差異の体系である」とは、言い換えればそういうことである。

この知見が構造主義の源流となるわけだが、ここで困ったことが発生する。言語が独立したシステムだとすると、言語がいったいどのような仕方でわれわれの生、記憶、現実に介入しているのかわからなくなってしまうのだ。

ここで前田氏はベルクソンを召喚する。
「彼は言葉を語り/聞く活動のすべての根拠を、〈事物、身体、運動、記憶〉の系においてかたりきってしまう」(『言語の闇をぬけて』あとがき)。

ソシュールとベルクソンのペアは、言語へのアプローチとしては両極端であり、その真ん中には乗りこえがたい亀裂が走っている。

「言葉が〈意味〉を持ちながら〈ある〉ことは、ソシュールとベルクソンとが示したふたつの存在論のあいだで、一方から他方をたがいに決して覗かせない折り目として成り立っている」(同あとがき)。

『言語の闇をぬけて』一篇はこの謎への困難な漸近の記録であり、無論それは最後まで明確な解答を得るには至らない。

凝結型表現の成功例として挙げた芭蕉の句への「なぜこの言葉の組み合わせがこの包括の強度を持つか? これはわかりません」という言明はおそらくこの「折り目」に関わっている。

前田氏はここに、ベルクソン的な生と記憶の内部に深々と介入した言語と、ソシュール的な自立したシステムとしての言語、その二つの「折り目」を飛び越えての、ある奇跡的な結びつきの例を見ているのではないか。

「言語は(不可避的に)指向対象を持ってしまう」という命題に立ち戻ると、芭蕉の句の言葉が「春」でありながら「春」以外の一切の季節をも表すというのは、伝達機能の上からいえば失調であり、超脱である。

そして言語芸術が凝結型表現を成し遂げる上でこの失調はおそらく不可欠なのだが、それが個々の作品においてどう実現されるかは、おそらく定式化のしようがないだろう。

以上、前田氏の講演を現場でのメモと『豈』掲載記事より、そして講演では直接言及されなかったもののその思考の背骨を成すと見られる『言語の闇をぬけて』をも参照しつつ、最大限その可能性の側に立ち、祖述を試みた。

俳人がこの講演内容を継承発展させる道は幾とおりか考えられる。記憶を弛緩と収縮の中でその都度生成するものととらえれば、それが直線的に進行する年表的な時間性を持つとは考えにくく、これは「時間性の抹殺」(山本健吉)という命題への新たなアプローチにも繋がるだろうし、また凝結型の表現を実現する上で、「季語」や「切れ」といった俳句特有の制度はどういった機能の仕方をしているかといったことも探究の対象となりうるだろう。

その前に凝結型表現が成功した作例としてどのような句があるかも省みなければならず、例えば「階段を濡らして昼が来てゐたり」(攝津幸彦)、「白昼を能見て過す蓬かな」(宇佐美魚目)、「大晩春泥ん泥泥どろ泥ん」(永田耕衣)、「春の雪青菜をゆでてゐたる間も」(細見綾子)といった作品群が思い浮かぶが、個々の仔細についての検討はまたの機会に譲るしかあるまい。


付記

当日、実際に私が聴いた講演と、『-俳句空間-豈』44号に掲載された講演記録との間には、全体の論旨こそ変わらないものの、細かな部分にかなりの異同がある。

説明に使う事例の選び方、話の各部分の粗密や長短の度合、そしてもちろん語り口(実際の前田氏の語り口は開放的で、いま生成しつつある思考の渦に聴き手の心身を引き込むような躍動感に満ちたものだったが、書かれたものからそうした気配を感じとることは難しい)。

「週刊俳句」第19号で宇井十間氏が、この記録は誰が書いたものなのかという疑問を呈していたが、これはおそらく前田氏本人によるものなのではないか。実際の講演と講演録とが、同じ主題をめぐる二つの異稿と呼んだ方がいいほど違っており、無記名の筆記者による改変とは考えにくい。

また講演後に私が『豈』編集部に電話をした際、「前田さんは講演前にかなりちゃんと原稿を用意する」との話を聞いたが、実際の講演では前田氏に原稿に目を落とすといった動作はほとんど見られなかった。今回の講演録は、事前に準備した草稿を講演後に前田氏本人が手直ししたものではないかと思われる。

講演と講演記録との最大の違いは、実際の講演であれほど印象的に何度も登場したベルクソンの名が、活字になったものには一切出てこないことである。

これは活字にする際に後から除去したということではなく、講演記録というより講演草稿に近いらしい活字バージョンでは、講演者にはわかりきったこととしてはじめから省かれていということかもしれない。そのために何を淵源とした思考なのか、見えにくくはなった。




俳句と詩の会「高浜虚子を読む」

俳句と詩の会 「高浜虚子を読む」


「俳句と詩の会」は、高柳克弘と三木昌子の呼びかけによって発足した、若い詩人と俳人による、俳句と詩の相互研究の会です。

「高浜虚子を読む」は、俳人研究の2回目(1回目は飯田龍太)。

参加メンバーは、あらかじめ、上田選による虚子の300+α句から、各自20句(特撰1句)を選び、それも元に、句会形式でディスカッションを行なった。

ディスカッション終了後、上田による虚子句についてのスピーチ(「二階に上がるということ」)と、質疑応答があった。(上田・記)


当日参加メンバー
杉本徹 手塚敦史 佐原怜 佐藤雄一 白鳥央堂 三木昌子
村上鞘彦 高柳克弘 神野紗希 上田信治

2007年8月26日 於・高田馬場ルノアール




虚子300句
(上田信治選)
メンバーによる20句選    →読む

ディスカッション「高浜虚子を読む」 →読む

二階に上がるということ ……上田信治 →読む

〈季語〉の幽霊性について ……佐藤雄一 →読む




profile

村上鞆彦 むらかみ・ともひこ
1979年生まれ、「南風」同人。

神野紗希 こうの・さき
1983年愛媛県生まれ。俳句甲子園をきっかけに作句を始める。句集に『星の地図』。第一回芝不器男俳句新人賞坪内稔典奨励賞受賞。

高柳克弘 たかやなぎ・かつひろ
1980年生まれ。静岡県出身。「鷹」編集長。今年10月末に第一評論集『凛然たる青春』(富士見書房)発刊予定。

杉本 徹 すぎもと・とおる
1962年、名古屋市生まれ。2003年、詩集『十字公園』(ふらんす堂)。第二詩集は来年刊行の予定。今年、「現代詩手帖」の詩書月評を担当。

手塚敦史 てづか・あつし
1981年、山梨生れ。204年、第一詩集『詩日記』(ふらんす堂)により、中原中也賞最終候補。06年、第二詩集『数奇な木立ち』(思潮社)は、シリーズ「新しい詩人」の中の一冊。「豆」同人。

佐原 怜 さわら・さとし
1980年、青森県生。
2006年、現代詩新人賞評論部門奨励賞受賞。

佐藤雄一 さとう・ゆういち
1983年札幌市生まれ。第45回現代詩手帖賞受賞。

白鳥央堂 しらとり・ひさたか
1987年静岡県生まれ。

三木昌子 みき・まさこ
1982年生まれ。詩集『漂流腕』(2007年・私家版)


虚子300句(上田信治選) メンバーによる20句選

虚子300句(上田信治選) メンバーによる20句選



風が吹く仏来給ふけはひあり  高柳  『五百句』明治時代

怒濤岩を噛む我を神かと朧の夜 神野

海に入りて生まれかはらう朧月

鶏の空時つくる野分かな

間道の藤多き辺に出でたりし

蒲団かたぐ人も乗せたり渡舟

雨に濡れ日に乾きたる幟かな  上田

遠山に日の当りたる枯野かな  佐藤 三木 村上 神野

亀鳴くや皆愚かなる村のもの  高柳

打水に暫く藤の雫かな

秋風や眼中のもの皆俳句    手塚

大海のうしほはあれど旱かな  村上特  神野

村の名も法隆寺なり麦を蒔く

冬の山低きところや法隆寺   上田

桐一葉日当りながら落ちにけり 杉本 佐藤 神野

ぢぢと鳴く蝉草にある夕立かな

金亀子擲つ闇の深さかな    佐原 村上 神野

凡そ天下に去来程の小さき墓に参りけり 杉本 神野

春風や闘志いだきて丘に立つ  大正時代

大寺を包みてわめく木の芽かな

一つ根に離れ浮く葉や春の水  佐藤 村上

年を以て巨人としたり歩み去る 杉本

鎌倉を驚かしたる余寒あり   杉本 佐藤 三木 村上 上田

葡萄の種吐き出して事を決しけり 手塚

烏飛んでそこに通草のありにけり

露の幹静に蝉の歩き居り

大空に又わき出でし小鳥かな  杉本 佐藤 神野

木曽川の今こそ光れ渡り鳥

人間吏となるも風流胡瓜の曲がるも亦

蛇逃げて我を見し眼の草に残る 佐原 三木

天の川のもとに天智天皇と臣虚子と

能すみし面の衰へ暮の秋

秋天の下に野菊の花瓣欠く

夏痩の頬を流れたる冠紐

蚰蜒を打てば屑々になりにけり 佐原

冬帝先づ日をなげかけて駒ヶ嶽

雪解の雫すれ\/に干蒲団   高柳

日覆に松の落葉の生れけり

天日のうつりて暗し蝌蚪の水  上田

晩涼に池の萍皆動く      佐藤 村上

棕櫚の花こぼれて掃くも五六日

風鈴に大きな月のかかりけり  杉本 手塚

白牡丹といふといへども紅ほのか 手塚 三木 高柳

其中に金鈴をふる虫一つ

大空に伸び傾ける冬木かな   村上 上田

うなり落つ蜂や大地を怒り這ふ 昭和時代

百官の衣更へにし奈良の朝

なつかしきあやめの水の行方かな        

わだつみに物の命のくらげかな

東山静に羽子の舞ひ落ちぬ

ふるさとの月の港をよぎるのみ

はなやぎて月の面にかかる雲

われが来し南の国のザボンかな 佐原 高柳

枝豆を喰へば雨月の情あり

ふみはづす蝗の顔の見ゆるかな

流れ行く大根の葉の早さかな  手塚 佐藤 白鳥 三木 神野 上田

虻落ちてもがけば丁字香るなり

石ころも露けきものの一つかな 手塚 白鳥 杉本

春潮といへば必ず門司を思ふ  村上 神野

炎天の空美しや高野山     村上

われの星燃えてをるなり星月夜

我心漸く楽し草を焼く

聾青畝ひとり離れて花下に笑む 

燕のゆるく飛び居る何の意ぞ

春の浜大いなる輪が画いてある 佐原 白鳥 三木

夏草に黄色き魚を釣り上げし

襟巻の狐の顔は別に在り

凍蝶の己が魂追うて飛ぶ

鴨の嘴よりたら\/と春の泥

神にませばまこと美はし那智の滝

囀や絶えず二三羽こぼれ飛び

顔抱いて犬が寝てをり菊の宿  杉本 白鳥

焼芋がこぼれて田舎源氏かな

白雲と冬木と終にかかはらず  佐原 高柳

事務多忙頭を上げて春惜しむ      

酌婦来る灯取蟲より汚きが   高柳 上田

水飯に味噌を落して濁しけり

大いなるものが過ぎ行く野分かな 佐原 高柳

秋風や何の煙か薮にしむ

川を見るバナナの皮は手より落ち 手塚 上田特

緑蔭を出れば明るし芥子は実に

かわ\/と大きくゆるく寒鴉  杉本

大空に羽子の白妙とゞまれり  村上

その中に小さき神や壺すみれ  杉本『五百句時代』

冬の山うね\/として入日かな

大粒の雨になりけりほとゝぎす

昼の蚊の大きくなりぬ秋の風

冬川の石にちらばる木の葉かな

夏川に魚踏まへたるはだしかな

紫の石おびただゞし春の水

春雨や布団の上の謡本

茶の花に朝日冷たき畑かな

凩や水かれはてて石を吹く  手塚

古池は氷の上の落葉かな

音たてて春の潮の流れけり

ばう然と野分の中を我来たり

茨の花二軒並んで貸家あり

貧にして孝なる相撲負けにけり

蝶々のもの食ふ音の静かさよ  杉本 白鳥特 高柳特

金屏におしつけて生けし櫻かな

何触れて薔薇散りけん卓の上  高柳 白鳥

薔薇剪つて短き詩をぞ作りける 手塚

炭をもて炭割る音やひびくなり

三つ食へば葉三片や櫻餅    神野

昼寝さめて其まゝ雲を見居るなり 杉本

下駄傘の新しければ雨涼し   白鳥

宿屋出て銭湯に行く時雨かな

袷著て仮の世にある我等かな

春寒や砂より出でし松の幹   上田

年々に見古るす家や梅の道

舟べりにとまりてうすき螢かな 杉本 白鳥

石の上の埃に降るや秋の雨   杉本 佐藤 白鳥 

我汗の流るゝ音の聞こゆなり

生涯の今の心や金魚見る    杉本 村上

初空や大悪人虚子の頭上に

手をこぼれて土に達するまでの種 杉本 手塚 白鳥 神野

遠花火ちよぼ\/として涼しさよ 杉本

明日死ぬる命めでたし小豆粥  杉本

浪音の由比ヶ浜より初電車   村上

てのひらの上そよ\/と流れ海苔

この庭の遅日の石のいつまでも 上田 村上 佐藤

水に浮く柄杓の上の春の雪   白鳥

箱庭の人に古りゆく月日かな

咲き満ちてこぼるゝ花もなかりけり 村上

泥落ちてとけつゝ沈む芹の水

白玉にとけのこりたる砂糖かな

帚木に影といふものありにけり  杉本 三木 白鳥 佐藤特 高柳

ちらばりてまだ遊船に乗らぬなり 白鳥

青き葉の火となりて行く焚火かな

船蟲の波に洗はれ何も無し

鶏を吹きほそめたる野分かな

下駄はいて這入つて行くや春の海

手より手に渡りて屏風運ばるゝ  上田

餅花の賽は鯛より大きけれ 

鴨の中の一つの鴨を見てゐたり  杉本 神野  『五百五十句』

枯れ果てしものの中なる藤袴

宝石の大塊のごと春の雲

麻の中雨すい\/と見ゆるかな  手塚

秋の風衣と膚吹き分つ      白鳥

必ずしも鯊を釣らんとにはあらず

箒あり即ちとつて落葉掃く

加留多取る皆美しく負けまじく

双六に負けおとなしく美しく

マスクして我と汝でありしかな

そのまゝに君紅梅の下に立て

重の内暖にして柏餅

たゝみ来る浮葉の波のたえまなく

急がしく煽ぐ団扇の紅は浮く

実をつけてかなしき程の小草かな 杉本

秋天に赤き筋ある如くなり

静かさに耐へずして降る落葉かな 手塚

冬日柔らか冬木柔らか何れぞや  高柳

人形の前に崩れぬ寒牡丹 

旗のごとなびく冬日をふと見たり 杉本 神野 白鳥 高柳 上田

潮の中和布を刈る鎌の行くが見ゆ

肴屑俎にあり花の宿

バスの棚の夏帽のよく落ちること 神野

梅雨傘をさげて丸ビル通り抜け

我思ふまゝに孑孑うき沈み

もの置けばそこに生まれぬ秋の蔭 杉本特 佐藤 三木 高柳

金屏にともし火の濃きところかな 杉本

龍の玉深く蔵すといふことを   村上

初蝶を夢の如くに見失ふ     杉本 高柳

細き幹伝ひ流るゝ木瓜の雨

麦飯もよし稗飯も辞退せず

祖を守り俳諧を守り守武忌  朝日新聞の需めにより、開戦記念日を迎ふる句

手毬唄かなしきことをうつくしく 杉本 白鳥 村上

向き\/に羽子ついてゐる広場かな

大寒の埃の如く人死ぬる     佐原 佐藤 村上

大寒の見舞に行けば死んでをり

鎌倉に実朝忌あり美しき

おほどかに日を遮りぬ春の雲

牡丹花の雨なやましく晴れんとす

秋風や相逢はざるも亦よろし

営々と蝿を捕りをり蝿捕器

立ち昇る茶碗の湯気の紅葉晴

よろ\/と棹がのび来て柿挟む  佐藤 白鳥 三木 上田 

雲なきに時雨を落す空が好き

おでんやを立ち出でしより低唱す

マスクして我を見る目の遠くより

我が生は淋しからずや日記買ふ  三木 神野

橋をゆく人悉く息白し      佐藤

左手は無きが如くに懐手

美しく耕しありぬ冬菜畑

冬日濃しなべて生きとし生けるもの

フランスの女美し木の芽また   手塚  『五百五十句時代』
だん\/に我に似てくる爽やかに 石井鶴三アトリエ塑像制作 
バスが着き郵船が出る波止場かな

映画出て火事のポスター見て立てり  『六百句』

公園の茶屋の亭主の無愛想

春雨の傘の柄漏りも懐しく

襖みなはづして鴨居縦横に

水打てば夏蝶そこに生れけり   高柳 白鳥

自転車に跨がり蝉の木を見上げ

暖かき茶をふくみつゝ萩の雨

冬の空少し濁りしかと思ふ    三木

大根を水くしや\/にして洗ふ

たんぽゝの黄が目に残り障子に黄

春惜しむベンチがあれば腰おろし

ぼうたんに風あり虻を寄らしめず

夕風に浮かみて罌粟の散りにけり 上田

霧の中舟の掃除をはじめけり

悲しさはいつも酒気ある夜学の師

茄子畠は紺一色や秋の風

天地の間にほろと時雨かな

猫いまは冬菜畑を歩きをり

枯園を見つつありしが障子閉め

いと低き土塀わたりぬ冬木中

温泉の客の皆夕立を眺めをり   杉本

枯菊に尚ほ或物をとどめずや

石に腰しばらくかけて冷たくて

白酒の紐の如くにつがれけり

犬ふぐり星のまたゝく如くなり  杉本

根切蟲あたらしきことしてくれし

美しき蜘蛛居る薔薇を剪りにけり

日のくれと子供が言ひて秋の暮  上田 白鳥

金の輪の春の眠りにはひりけり  高柳  『六百句時代』
ぼうたんの花の上なる蝶の空

白酒の餅の如くに濃かりけり

鶏にやる田芹摘みにと来し我ぞ  『小諸百句』
初蝶来何色と問ふ黄と答ふ    佐藤 村上 神野

山国の蝶をあらしと思はずや

蛍火の鞠の如しやはね上り

見事なる生椎茸に岩魚添へ

虹立ちて忽ち君のある如し    佐原

虹消えて忽ち君の無き如し    佐原

虹消えて小説は尚ほ続きをり

ラヂヲよく聞こえ北佐久秋の晴

見下ろしてやがて鳴きけり寒鴉  上田

日凍てて空にかゝるといふのみぞ

綿羊の子はおでこにて桃の花   白鳥  『小諸時代』

蜘蛛よりもががんぼ音がして陽気

孫の手といふものもあり蠅叩   手塚

日課なる昼寝をすませ健康に   上田    

我行けば枝一つ下り寒鴉     『六百五十句』

溝板の上につういと風花が

雛あられ染める染粉は町で買ひ

美しきぬるき炬燵や雛の間

洗ひたる花烏賊墨をすこし吐き

皿洗ふ絵模様抜けて飛ぶ蝶か

藍がめにひそみたる蚊の染まりつゝ

蝉の木をあす伐らばやと思ひけり

物の本西瓜の汁をこぼしたる

烈日の下に不思議の露を見し   手塚 高柳

水鉢にかぶさり萩のうねりかな

秋風や静かに動く萩芒

水仙の花活け会に規約なし    上田

春雨のかくまで暗くなるものか  手塚 佐藤 三木

春水に逆さになりて手を洗ふ

茎右往左往菓子器のさくらんぼ  上田

黒蝶の何の誇りもなく飛びぬ   手塚

惨として日をとゞめたる大夏木

割合に小さき擂粉木胡麻をすり

爛々と昼の星見え菌生え     三木 神野

念力のゆるみし小春日和かな   三木

海女とても陸こそよけれ桃の花  白鳥

古庭のででむしの皆動きをり

秋天にわれがぐん\/ぐん\/と 佐原

やはらかき餅の如くに冬日かな

虚子一人銀河と共に西へ行く

人生は陳腐なるかな走馬燈 

食ひかけの林檎をハンドバッグに入れ

海底に珊瑚花咲く鯊を釣る

わが終り銀河の中に身を投げん

だぶ\/の足袋を好みてはきにけり

手で顔を撫づれば鼻の冷たさよ

大空の片隅にある冬日かな

鎌倉や牡丹の根に蟹遊ぶ

見る人に少しそよぎて萩の花

彼一語我一語秋深みかも     手塚 村上

掃き出す萩と芒の間の塵

去年今年貫く棒の如きもの    杉本 三木 高柳 神野

おでんやの娘愚かに美しき    手塚

門松を立てていよ\/淋しき町

汝がくれし胡瓜を妻が早もむか   『六百五十句時代』

蜜豆を食べるでもなくよく話す

片蔭を通れば酢屋の匂ひかな

干す和布に似たるものも干す   佐原

ゆらぎ見ゆ百の椿が三百に    佐藤 白鳥  『七百五十句』

ふと春の宵なりけりと思ふ時   杉本 佐藤 上田 

朝寝して今朝が最も幸福な    手塚

苔寺を出てその辺の秋の暮    上田

降つてゐるその春雨を感じをり 

犬の舌赤く伸びたり水温む

一匹の蝿一本の蠅叩       佐原

明易や花鳥諷詠南無阿弥陀
 
すぐ来いといふ子規の夢明易き

コスモスの花あそびをる虚空かな 杉本

地球一万余回転冬日にこ\/   三木特 佐原 播水、八重子結婚三十周年

蠅叩にはじまり蠅叩に終る

炎天の干し物落ちて乾きをり

考へを文字に移して梅の花    上田

蜘蛛に生れ網をかけねばならぬかな 神野

花の雨強くなりつゝ明るさよ   杉本 三木

我生の美しき虹皆消えぬ

風生と死の話して涼しさよ    村上   

我が庭や冬日健康冬木健康

門を出る人春光の包み去る

女涼し窓に腰かけ落ちもせず   白鳥

いつもこの紺朝顔の垣根かな

藤豆の垂れたるノの字ノの字かな 手塚特

ほのかなる空の匂ひや秋の晴   杉本

光りつゝ冬雲消えて失せんとす 

薮の中冬日見えたり見えなんだり 佐原

幹にちよと花簪のやうな花

春の山屍をうめて空しかり    高柳

覗きをる土管の口や菖蒲の芽   『七百五十句時代』

涼風のとめどなく来る蜂が来る  三木

カーテンを引いて見えざる冬の庭 白鳥

よき家や銀河の下に寝しづまり

乳かけて苺の砂糖崩れつつ

春光の包める一木々々かな

永き日を君あくびでもしてゐるか 三木  古白一周忌『慶弔贈答句』

子規逝くや十七日の月明に    子規逝く

ワガハイノカイミヤウモナキスヽキカナ 杉本  漱石の猫の訃報に返電

とめどなき涙の果ての昼寝かな  女児を失ひし木国に

鍬取つて国常立の尊かな     念腹ブラジル渡航

野路ゆけば野菊を摘んで相かざす 誓子新婚

たとふれば独楽のはじける如くなり 神野特 碧梧桐追悼

君と共に四十年の秋を見し    王城追悼

強霜に友情春の如き人      小野蕪子逝く

素袷の心にはなり得ざりしや   自殺せる若柳敏三郎を悼む

木の芽雨又病むときく加餐せよ  たかしに

秋蝉も泣き蓑蟲も泣くのみぞ   詔勅を拝し奉りて朝日新聞の需めに応じて    

敵といふもの今は無し秋の月    同

まつしぐら炉にとび込みし如くなり 素逝追悼

似てゐても似てゐなくても時雨かな 佐原 三木 風生銅像除幕式
独り句の推敲をして遅き日を    句仏十七回忌 

   

ディスカッション 高浜虚子を読む

ディスカッション 高浜虚子を読む


遠山に日の当りたる枯野かな
村上「なんとも言いにくい。いかにも俳句。自然と正面から向き合っている」
神野 「龍太が、この句について「句碑にならない句」と書いていて、たしかに、特定の場所を必要としていない句。それは、普遍的な単語ばかりで組み立てられているからかもしれない。目の前にある景だけど、こちら側でもあちら側でもある。ここに無さそうなものを呼び起こされるところが好き」
高柳「たぶん、この句を面白いと感じる価値観は、人間に生来ある感覚からは生じえない、たとえば無垢な子供にとっては面白くないはずだと思う。近代の「俳句的なもの」自体の成立に、虚子の評価が深く関わっている。言い換えれば、この句をふくんで成立している、ある評価基準によって評価されている句だと思う」
三木「すごく人工的。新しい西洋的な物の見方、たとえば遠近法とかを野心的に取り入れようとしているのか」
高柳「信治さん、この句、好きでした?」
上田「すごい好き。空間の見せ方があざやかで。〈遠山〉を先に見せて、〈枯野〉を後から言って、こう視線が降りてくる、で、日の当っている〈遠山〉、あるいは空間全体をもういちど、見せなおすという、このあざやかさ。ここには、ひらけた空間、いい景色という生理的な快感があると思うんだけど」

大海のうしほはあれど旱かな
村上「さいきん日照のように暑かったので、特選にしました」
上田「ぼくは、これ、分らない。面白俳句なんですか?」
村上「理屈を言っているようにも思えますが、それを消すようにして海の青さが迫ってくる」
高柳「岸本尚毅さんが、この句を高く評価していて、よく、この句について発言しています。さいきんの岸本さんの句にもこういう傾向のものがあって、天の川の中を流れ星が流れる、なんていう句を平気でつくってしまう。
たしかに理知の句ですが、こっちのほうが〈遠山〉の句に比べて、全く俳句を知らない人にも、分かりやすいおもしろさだと思います。理屈とか理知のほうが、人間の原初的な「感動」っていうんでしょうか、そういうものに近いと思う。景色に感動するとか、人間の理知に越えた自然に感動することのほうが現代的な感覚であって、江戸時代以前には、理知的なものに詩情を感じていた。詩情のあり方がちがうんです。虚子は、一部に江戸俳諧の影響を色濃く残していて、前時代的なものをひきずっていたと思う。その端的なあらわれ」

桐一葉日当りながら落ちにけり
杉本「こうして虚子の句を一気に大量につづけて読んでいると、この句の独特のおさまりのよさが少しわかる気もした。桐の葉が日と影の両方をまとう動的なわずかな時間を、無時間の一筆が描きとめたというか」
佐藤 「流れ行くものを、切字で切ることによって、景を提示している」
神野「ばかばかしいというか、けっきょく桐の葉が落ちてるだけなのを、じっとみてるところがおもしろい」
上田「〈桐一葉〉には、文学的含意があるわけですけど、ぼくは、この言い方のひらひらしてるところが面白くて、〈桐一葉〉の含意がじゃまに感じる」

鎌倉を驚かしたる余寒あり
佐藤「国木田独歩が「喫驚(びっくり)したいというのが僕の願なんです」「宇宙の不思議を知りたいという願ではない、不思議なる宇宙を驚きたいという願です!」ということを、小説の登場人物に言わせている。ロマン派から移行する際に「驚く」ということがリアリズムにとって重要だった。しかも〈鎌倉〉という、普遍的な最大公約数的なものが、ここでは驚いている」
上田「これ、リアリズムじゃないんじゃない? 既存の情緒+レトリックで」
佐藤「その実感とレファレンス的なものとの差違が、現在と過去の落差に驚くことで、そこにリアリズムの嚆矢がある」

葡萄の種吐き出して事を決しけり
手塚「葡萄の種を吐き出すときに、思い出してしまいそうな、口誦性、独り言のような、思い出しやすさがある。たいした決意じゃないというところも、面白い」
神野「虚子は、こういう句では、サービス精神をもって演じていると思う」

大空に又わき出でし小鳥かな
神野「〈遠山〉の句と同じく、言葉はすごい簡単でそのまんまなんだけど、小鳥が出たり入ったりすることで、大空が大空なんだなあという感じになる。大空が動かなくて小鳥が動いてるのが、生命全てにあてはまるのがいいのかな」
佐藤「〈又〉というのは、過去の回帰する驚き。虚子がなぜ、季語を手放さなかったか。季語は回帰する物だから。だから過去と現在の落差に驚ける。配合の句じゃないことも、人工性じゃなくて、リアリズムを指向している」

雪解の雫すれすれに干蒲団

高柳「詩的なものと卑俗なものの対比ということかな。こういう対比をやってしまうところが、虚子の、なかなか近代になりにくかったところで、愛すべきところだと思います」
上田「白くて質感の違う物が、日光と雪と蒲団の三つある。その中に水分と乾燥、熱と冷たさが交錯していて、非常に読みどころの多い句だと思う」

晩涼に池の萍皆動く
村上「美しいんですけど、じっと見ていると、その動きが不気味に思えてくる。「や」じゃなくて「に」としたところも不気味」

白牡丹といふといへども紅ほのか
高柳「さっきも言った理知の句としての評価です。現代俳人なら〈いふといへども〉をけずる。古俳諧には、青といえども唐辛子、とか、こういう否定表現がけっこうあって、こういうものも、現代俳句が失ってやせてしまったものの一つだと思う」
上田「飯島晴子が、この句をふくむ虚子の代表句について、伝統芸能に見られるかたちの美しさ、上質な気どりの感覚というようなことを言っていて。これは、虚子のかっこよさを代表する句」

われが来し南の国のザボンかな
高柳「自意識の句だと思う。俺が来た国のザボンだという、ロマンがあっていい。波郷が好きだった句」
村上「波郷はこの句を、黒板に書いて卒業したという逸話がある」
神野「でも、卒業の句じゃないですよね(笑)」

流れ行く大根の葉の早さかな
白鳥「この句は、〈大根の葉〉に、自分の中の喪失感を寄り添わせたのだ、という、高校時代の寺山修司の解釈を読んで、そうかなと」 
佐原「その寺山の解釈は詩人的すぎるかも」
上田「この句がすごく語られるのは、そのあまりのそっけなさ、運動しか書いてないことにみんな驚いたんだと思う。」
手塚「この句は〈大根〉だからいい(一同驚)。人参だったらダメ。〈大根〉という重さがある野菜があって、その葉っぱに注目するから、早さが強調される」
神野「〈大根〉って、ちょっと悲しい感じ、味もすくないし。ここの野菜は、何でもいいようで、なんでもよくない」
佐藤「切字で、文字通り下に流れていくものを切ってる。情景でもなく抒情でもなく」
高柳「さっき手塚さんや、神野さんが言われていた〈大根〉そのものがイメージとして浮かぶというのは、面白い話で、山本健吉が俳句には、時間性がないみたいなことを言っていて、飯島晴子も似たようなことを言っていたかな、十七音を字で読むとき全体がいっぺんに目に入ってしまうから。ただ、それを頭から読み下していくものだとすれば、いっしゅん、大根がうかんで、葉の早さと対比が出る。
虚子は謡曲の家に生まれたんですが、虚子の残した朗読の録音を聴くと、謡のようにゆっくり読んでいる。だから、ゆっくり読むのが虚子の句としてはいいのかもしれない」
佐原「後期の虚子の句は、うしろに時間が隠されている句が多い。すごく時間性が出てくる」

石ころも露けきものの一つかな
杉本「このあたり、少し好きですね。<露けきもの>が生きてる」
三木「説教くさくないですか」
佐原「この〈露〉に、儚さの象徴という意味が含まれてるかどうかですね」
上田「あと〈一つかな〉の解釈で、ぼくは、庭かなにか見える範囲ぜんたいが露にぬれていて、〈石ころも〉と、とるけど」
杉本「ぼくも、そうとってしまったけれど」
三木「自分を〈露けき〉と言ってるかと思って、なんといやみな、と」
白鳥「ぼくは、そっちでとりました」

炎天の空美しや高野山
村上「なにも言ってないのに忘れられない。下手といえば下手な句で、天と空が重なるし、ストレートに〈美し〉とかいってるし」
高柳「〈高野山〉きいてるんですかね?」
上田「効いてるでしょう!坊主の頭がいっぱいあって、そこに日がかーっとあたって(一同笑)。で、結果、空はめらめら燃えてるのに、高野山はヒンヤリしている」

春の浜大いなる輪が画いてある
佐原
「輪が本当に描いてあったというよりも、海の持つある種時間的な大きさを、景色から〈輪〉というかたちで作為的につかみ取ったのではないか。写生というよりは、景色の向うから「大いなる時間的なもの」を引き出すというか感じとっており、そこに虚子の個性がある」
     
酌婦来る灯取蟲より汚きが
三木・杉本「これは笑ったよなー」
高柳「これは、いい。いまは差別とか、うるさいことを言う人がいますけど」

蝶々のもの食ふ音の静かさよ
白鳥「たとえばキッチンがすごく静かな時、鍋が静かかというと、静かな鍋というふうには思わない。ほんとうに静かな景色の中には、静かなものはない。
静かな景色っていうものがあって、それを感じてそれを書く、そのとき、〈もの食ふ音〉が〈静かさ〉の発信源というように感じられたんじゃないか。〈静かさ〉が、そこに集約されて、全体にひろがっていく。逆に〈蝶々〉が〈もの喰ふ〉ときは、世界が静かになるんだというように。時間性がないというより、時間をとめてしまうような魅力がある」
高柳「蝶は蜜を吸うわけですが、それを〈食ふ〉と言ってしまうところに、虚子の大きさがある。小さな、せせこましいものを、大きく表わしてしまう豊かさ」

手をこぼれて土に達するまでの種
手塚「萩原朔太郎の詩、てのひらのうえで花を育てるみたいな詩を、思い出して好きだった」 
神野「蒔いたというより、蒔こうとおもって手においてたら、あ、落ちた、という。短い時間をスローモーションのように延ばしている。種を最後にもってきてるのも、種を見せたいというねらいがよく分る」 
白鳥「ぼくは、ちょっとちがって、種目線で(一同笑)本質を書いたのかと。土にもぐってこそ、種の本領なので、ここに書かれた落ちるまでは、種にとっての「種」の時間。そこが面白いと思いました」

箒木に影といふものありにけり
杉本
「<箒木>も、<影>も、あるかないかわからないものをとらえて、異様に美しい、静かな立ち姿。写生もつきつめれば、単なる写生じゃなくなり、地上から浮き上がるというか、虚子が花鳥諷詠ということを言った怖ろしさの、ひとつの極点だと思う。<箒木>という言葉の歴史的価値にとどまらない、この句でのみ実現されたプラスアルファがある」
佐藤「やっぱり、〈箒木〉からは、新古今のようなレファレンスを想像する。子規がレファレンスから生じる月並みを否定したことを、虚子は丸ごと受けとらなかったということの代表。
同じ<影>の句でも、近世、例えば其角の〈名月や畳の上に松の影〉を読むと、<この私>が見ているという実感、はかなさ、たよりなさが感じられない。その叙景はスタティックであるように思う。虚子はそれとは違う。
<影>に驚く虚子は、季節の推移をプレテクストに即した句で詠みそれを共有する共同体のなかで安寧しているように思えない。ここでの驚きは、そのようなプレテクストをベースにした共同体には埋没しえない自分が、移ろいやすい影をみているという<孤心>がある。
ノスタルジーの字義通りの意味「故郷へ戻りたいと願うが、二度と目にすることがかなわないかも知れないという恐れを伴う病人の心の痛み」を読み取ることが可能であると思う。その意味で虚子は単純な中世回帰の俳人ではないし、また子規のようなある種密室的実験性とも異なる。いわば前者と後者のあいだに引き裂かれた<孤心>をこの句では<驚き>として詠んだように思える。
過去にあった、あるいは自分がいた共同体から切り離されているという<孤心>を逆説的な共通項とするのが国民国家という共同体であるから、虚子の<驚き>は実は国民大衆と共有することが容易。ゆえに虚子は、季節によって国民に等しく回帰してくる<孤心>を、<影>のような叙景で詠むことで、自身の句は国民一般に共有される抒情性をもつという確信があった。その確信によって虚子は作家から国民作家になったのだと思う。
あるいはもう自身がそこにいないあるいは忘却されたところの過去を季節によって例えば<驚き>として<リアル>に召還する俳句を虚子は<国民>に回帰するオブセッションとして位置づけていたのではないか。」
三木「回帰してくるものって言ってたけど、二回目に人がみつけるものっていうのは、すごく大きい。でもこの句にはこれ以後、何も重なってこない。一回きりの、言ってやったぜ!という句。すごい抒情性がある」
上田「〈箒木〉の抒情性?」
三木「〈影〉の抒情性」
高柳「写生は描写じゃないということに気づかせてくれる句。なにも具体的な描写はないけれども、〈箒木〉のあわあわとした存在感と、うすい影がよく見えてくる。ことばの使い方ですよね。あと、ここは〈箒木〉のような、古典的情緒をおった季語じゃないと、おもしろくない。虚子は俗的なものがよくわかっていた。そこが、子規の理論先行のボンボン的な発想と違うところで、大衆が俳句に求めているものは何か、という、ウケどころのようなものが、よく分っていた」
上田「それは、自分の感覚のツボをはずさないってことじゃなくて?」
高柳「自分の感覚か、意識されたものなのか。生来のもので作っていたのか、必要があって作っていたのか。虚子にとって俳句はお家芸ですから、ちゃんと人にウケなきゃいけない、という、子規とは違った必要性に迫られていた。子規には、俳句を革新しようということだけがあって、ビジネスとかそういうことは考えてなかったんで、はっきり言って、子規の俳句はおもしろくない」
上田「ただ、大衆性っていうのものこそ、才能そのものであって、もともと自分の中に大衆性を持ってない人がやろうとしたってできないと思う」
高柳「それはそうかもしれません」
神野「人を喜ばせるのが好きな人だったのかも、いろんな句があるし。サービス精神が旺盛な気がします」
佐原「でも彼はそんなに「人のため」に書いてたんでしょうか。人は埃のように死ぬもんだ、みたいなことをさらっと言うのを見ると、疑わしくも思えますが」
神野「いや、それは綾小路きみまろとかも言うし。じゅうぶん、うけねらいだったのかも」

旗のごとなびく冬日をふと見たり
上田「これ、すごい好き。語順がおかしいんです。起こったことの順番通りに書くのなら、ふと見ればー冬日はー旗のごとなびく、と書くのが、人間の認識の順番として正しい語順なんですけど、〈旗のごとなびく冬日〉っていう幻想的視覚像がまず提示されて、〈ふと〉見た瞬間、その幻想の中にがーっと主体が引っ張り込まれていく。言い方によって、すごいマジックリアリズムみたいな事がおこっている」
高柳「これ眼目は〈旗のごとなびく冬日〉につきてるんですけど、そのあと〈ふと見たり〉と、重要であるはずの最後の納めかたが、こんなだっていうところがね」
上田「うん、単に、大事なことから順に言っていった結果なのかもしれない。ただその結果が、おもしろいことになってる」

もの置けばそこに生まれぬ秋の蔭 
杉本「やはり写生の極まりを感じる。あえていえば、発句する自分自身までをも否応なく見てしまうというか、その心が静まっているところを見つめる、見つめるしかないという、一句のかかえた無時間のひろがりのようなものを感じる。
子規から虚子、虚子から尾崎放哉につながるような、あるいはひょっとして西行なんかにもつながるような、そんな接線がもし引けるとしたら、そうした日本語の一行における写生の、あるひとつの本質を考えさせるものがあると思う。<生涯の今の心や金魚見る>も、その意味ではストレートに、見つめる心のひろがりが見えて、おもしろかった。ただ、この<秋の蔭>の句は、句自体の陰翳が深々としていて……。このあたりが、ぼくがいちばん好きな何句かでした」

手毬唄かなしきことをうつくしく
村上「そっけないおおざっぱさ。でも〈かなしきことをうつくしく〉という曲折を持たせて言ったところが、いいんじゃないですか」

大寒の埃の如く人死ぬる
佐原「何かをわかっちゃってる句という感じ。虚子の幅の広さ、と言うよりふてぶてしさがよく出ている」
杉本「その横(大寒の見舞に行けば死んでをり)も笑えるよね、このへんからギャグがね。〈営々と蝿を捕りをり蝿捕器〉もおかしい」
高柳「これは、そんなに面白いと思わない。中世的な無常観からすれば、いまさら、というかんじ」
村上「埃に無常観といった意味的なものを託してるのかなと思うと、あんまりそんなこともない」
神野「人は埃、自分神、みたいな目線があるような気がしておもしろい」
村上「冬の日差しに浮かぶ埃って綺麗ですよね」
高柳「人のはかなさを、塵にたとえるのはよくあるけど、〈埃〉というのが、新しいのかな」

よろよろと棹がのび来て柿挟む 
上田「〈柿〉にまつわる情緒はなにもないけど、青空を見せる句ですね。これは、語順の通りにものが起こるところがおかしい」
神野「4コママンガみたい」

我が生は淋しからずや日記買ふ 
三木「歌謡曲みたいな感じで、とっちゃった」
神野「ここまで、べたにやられると、、、日記買っちゃうかも(笑)」 
佐原「虚子だから読ませる句ですね。〈わが生は淋しい〉とかいうことを、ベタかもしれないけど、わりと強固に思っていた人だったんだろうと思わせる」
神野「〈吾を神かと〉とか言ってたひとが、ふと弱気をみせたところが、かわいいというか」
杉本「ほんとに日記買ったんですかね」
一同「絶対買ってないです」

フランスの女美し木の芽また 
手塚「〈また〉でおわってるところが、言いきってなくていいなあ」
杉本「<美し>まで書いて、あとが一瞬つづかなくなったのかなとも思う」

日課なる昼寝をすませ健康に 
上田「こういう句、この時代のこの人、けっこう沢山あるんですけど、この会のために300句選ぶのに、入れては外しをやっていて、こういうので残る句って、そんなにないんです。不朽の名句と並べると負ける」
佐原「でもこのばかばかしい中に、虚子の本質のひとつがある」
上田「うん、まさに。それで、これは意外にも捨てられなかった句です」  
  
虹立ちて忽ち君のある如し
虹消えて忽ち君の無き如し

佐原「〈和布〉の句もそうなんですけど、類似してはいるけれどちょっとだけ違っている二つのものを対比とか、Aと、Aとちょっと違うもの、という二つのものを併置とかする句が、後期になると多くなる。虚子の場合は、そのちょっとの違いの中に人の「ある/無し」も含まれてしまう」
神野「片方だけど、なに甘いこと言ってるんだとなっちゃうけど、両方あるから」

日凍てて空にかゝるといふのみぞ
上田
「うわごとに近いですが、なんとも、いい」
村上「いいですね。日とか空とか詠むのはむずかしいですけど、これは」

水仙の花活け会に規約なし 
上田「これは不朽の句(一同笑)。はずしてもはずしても、戻ってくる」
高柳「そこを聞きたいですねえ」
上田「謎なんですよ。うーん、この句、〈水仙〉ないんですよね、〈会〉の話だから。で、〈規約〉の話になっちゃって〈会〉の人たちもいないし。で、最終的に〈規約〉もないのね。何にもないんです、この句」
高柳「フリーダムな感じがいいんでしょうか。」
上田「うーん」
村上「〈花活け会〉じゃなく、〈花活け〉で意味的に切れるんだと思います」
高柳「それじゃ、おもしろくないでしょう」
上田「同じ句集の前後にこういう句いっぱいあるのか、、と見ると、ここまで下らない句はこれしかない。俳句がこういう句ばっかりになったらさすがに困るという句なんですが、さすがの虚子も、そうはたくさん、こんなのは書かない」
村上「虚子だから、読んでもらえますけど、虚子じゃなかったらだれも読まない。めぐまれてる」

春雨のかくまで暗くなるものか 
手塚「〈なるものか〉っていう、疑問形で終らせてるところが、さらさらっていうかんじで、春の雨の感覚出来そうでできないあいまいさで」
三木「〈かく〉で読者にあずけたところがうまい」

爛々と昼の星見えきのこ菌生え  
神野「きのこが、きれいじゃないところ、きたないものなところがいい。いろいろ見えにくそうなものが、ぶわーっと出てきそうで」
上田「ジブリか、みたいな」

去年今年貫く棒の如きもの
高柳「これは名句。川崎展宏さんが、有名な評を書いていて「この棒には毛が生えている」(一同笑)その解釈で生かされる句」
神野「もうちょっと説明を」
高柳「いや、満足しました。村上さん採ってないですか?」
村上「ちょっと理屈っぽいというか」
高柳「これって〈闘志抱きて丘に立つ〉系の句なんですかね」
佐原「〈大いなるものが過ぎ行く野分かな〉の句と似てる」
神野「私の中では〈大根の葉〉に近い。そういう動的なものを見えるものに、可視化してる。そうしたいという根本のモチーフを感じる。あと、ときどきエロス俳句っていうテーマで書く人がいるけど、そこになぜか入っている」(笑)

和布干す和布に似たるものも干す  
佐原「虚子は、写生という、対象物の細かいところに注目する方法を唱えたわけだけれど、なのに一方でこの句のように、「雑」に対象物をとらえることがしばしばあって、そうした句は特に後期になると増えてくるようです。この〈和布干す〉の句なんて、いかにも「雑」なとらえ方ですよね。
虚子はある時から、写生で描かれた対象物そのものよりも、描かれた対象物の背後にある時間の蓄積の方が重要だと感じるようになったのではないか。写生は、限られた時間の中にある対象物を「地上目線」で描写するので、句の時間性は限られたものとなる。
じゃあこの 〈和布〉の句に見られるような、写生とは対照的な「いいかげん」な視線というのはどこから来るのかと考えると、おそらくそれは〈天〉からなのではないか。例えば虚子の後期に〈秋天に我がぐんぐん\/と〉という句がありますが、〈天〉には四季の時間が、「大いなる時間」みたいなものが、ゆったりと巡っているんです。で、そんな「大いなる時間」と〈我〉とが一体化するとき、地上のこまごまとした物体は、虚子にとっては大した違いのないものとして見えてくる、だから「雑」なとらえ方をする句ができるんじゃないか。
時間的なものは、実際の個別的な経験、例えば春に花を見てはっと驚くような、そうした一回性の経験としても現れるし、物体の背後に感じられる時間、言わば〈大いなるもの〉につながる永遠性のようなものとして、四季とともに回帰するものとしても現われる。写生の方法では、ひとは個別の自然物に対して一回性をもって驚くけど、「大いなる時間」の側から見てしまえば、〈埃の如く人死ぬる〉の句のように、人間だって埃のように移り変わる存在に見えてくる。多彩な自然物は、〈和布〉と〈和布に似たもの〉というちょっとの間に入ってしまうんです。
虚子の後期に、〈だん\/に我に似てくる爽やかに〉という、自分の胸像ができるのを待っているときの句があるんですが、こういう句を見ていると、今まで言った〈天〉の方からものを見る、対象をつき離して客観的に見る視線のなかに、虚子はついには自分をも入れてしまっていたように思える」

藤豆の垂れたるノの字ノの字かな  
手塚「ノの字の不安定さが、風にゆれているようで、素敵な句だなと」

たとふれば独楽のはじける如くなり 
神野「事情を知らなくても、関係が想像できる。あと、言い方がかっこよい」





二階に上がるということ 上田信治

二階に上がるということ ……上田信治


「俳句と詩の会 高浜虚子を読む」におけるスピーチ原稿




俳句は、どちらかといえば、弱い、ちいさな表現方法だと思います。

強い表現方法というのは、虚子が憧れた小説とか、映画とか、マンガも入れてもいいかもしれない。弱い表現方法というのは、たとえば、生け花とか、コラージュとか、口笛とか。俳句は短いですしね。

ただし、虚子の句業は非常に幅が広くて、俳句がちいさな表現方法だということを忘れさせるような、大きなもの、りっぱなもの、強いものを、含みます。それは、前回やった龍太もそうですね。俳句の世界には、ときどき巨人のような、傑物のような人がまぎれこんで、小人たちをとまどわせるんですが、それは、ともかく。

虚子が龍太とちがうのは、虚子の句には、平然と「どうでもいいもの」や「ダメなもの」がある、俳句の弱さに開き直ったような「俳句なんてこんなもん」「こんなもんでいいの俳句は」という句があることです。

そして、そういう句は、ほんとにすごくない。〈くれといふダンサーにやる扇かな〉(笑)。昭和5年の、虚子欧行の折の句なんですが、実に、どうでもいい。

〈なんとなく秋の扇をくれにけり〉これは平成の田中裕明さんの句ですが、こうして、時代を超えて「すごくないもの」が、継承されているわけです。

自分が、同時代の表現として可能性を感じるのは、こっちの、どうでもいい、ダメなほうの俳句です。

これは個人的な話ですが、ぼくが、俳句という表現を発見したのは、ある種のサブカル的な心性のなせるワザであったかもしれません。つまり「立派なもの」「美しいもの」を、真っ正面から指向することを逃れて、心にかなうものを探すという性向です。

ただ、この世の「ダメなもの」というのは、ほとんどの場合、ほんとうにダメなんですよ(笑)。「ダメ」な表現物は、当り前ですけど、平板で醜いことが多い。「そこが、かえって、いい」なんて、そんな、甘ったれたことがあるわけない。

だから「ダメ」なものの中に「ダメゆえに実現されるなにかすばらしいもの」があるとしたら、それはやっぱり、すばらしいことだと思う。俳句には、そういう、どうでもいいものや、ダメなものの良さに対する、感受性の蓄積というものが、あると思います。

佐原「それは、書かれた対象がダメということと、句自体がダメというのはまた別ですよね」

それはもちろんそうで、虚子は、積極的に、小さなもの、つまらないものを、俳句の対象にすることを押し進めた人です。落葉やきのこを季題にしよう、冷蔵庫やマスクを季題にしようと、いうことをしているんですが。その一方で、そういうんじゃない、ダメな句というのがある。

それを代表する句が〈川を見るバナナの皮の手より落ち〉です。

ここには、美しいものや、すごいもの、真善美といったものはないです。この世で、よいとされているものは、何もない。でも、ここには、「ダメゆえに実現されるなにか」があると思います。

なぜ、ダメゆえに、かというと、この世で、あらかじめ「良し」とされているものは、かえって邪魔になる場合があるからです。

なにかすばらしいものを「二階」だとして、「二階」に上がることがほんとうの目的なのだとすると、その場合、美とか詩とかいうのは、しばしば「中二階」にあたる。

ほんとうは二階にあがりたいのに、「中二階」を目指して、そこを通って「二階」に行ければ、なんの問題もないんですが、そこに上がって満足してしまうということが起こりうる。それくらいだったら、はじめから、美でも詩でもない、馬鹿げたもののほうが、すぱっと本当のものに達することができる……のかもしれない。美と詩をいっしょにしては、いけないのかもしれませんが、じゃあ、美しくもすごくもないものが「二階」に上がってたら、ぼくは、うれしい。ダメなものが好きだから。

バナナの句は、ある一日に、たまたまあった、そういう放心の瞬間を、描写した句です。

放心の瞬間を、内側と外側の両方から書いている。自分が川を見ている。他人なら行為ですけど、自分なら内面です。いま、自分は川を見ている、という自己意識ともいえないような自己意識があって。その視界に落ちていくバナナの皮です。
「あ、バナナの皮、落とした」。

もう、ほんとに、どうでもいい偶然のできごとが、不朽のーどこからも腐ってこないような、100年は楽に保つと思われる言葉で、語られています。

ここにぼくは、言葉が、美の力も、物語の力も借りずに、二階に上がっている手応えを感じます。

内容ではない。ただもうそれは、言葉の仕業です。まちがっても、ここに無とか空とか、俳人格とかを見てはいけない。それは、錯誤だと思うんです。

〈酌婦来る灯取蟲より汚きが〉ここでも、ある偶然の感情が、永遠の形象を与えられて、我々の前に残されている。これも、具体的なものが、みんな消えちゃう句なんですね、酌婦の像が描けない。酌婦のイメージに灯取蟲のイメージがのっかっちゃって〈より汚きが〉で、なんだ比較かよってなって、具体的な像がみんな消えてしまう。灯りがギラッてなって酌婦と蛾のキメラみたいなものが見えて、ああ、いやなものに触れた、ということが残る。これは、波多野爽波が、虚子の最高の句として挙げている句なんですが、書かれているのは、またしても、まったくいいところのない、むしろ下衆な心性で、それが、みごとな言葉のワザで、定型と内容が、それと意識させないほど一体化して書かれている。

さて。ここでなにが起こっているか。

日常語というのは、話者が、言葉で、先行する指示対象を、指すように言うものです。指示対象に言葉が遅れて現われる、というのが日常語で、言いたいことを言うために、言葉を探す。それは、ものを書くときも同じです。

ところが、あまりにぴったりと過不足無しに言えた言葉というのは、受け手から見ると、その遅れをまぬがれているように、つまり、言葉と指示対象が、同時に出現したように見えるんです。

そうすると、それだけで、言葉が「詩語」として立つんですよ。言葉が「もの化」する、なんてよく言いますが、小さな時間の彫刻のようなものができあがる。

それは、おそらく俳句の定型と、短さに、すごく関係がある。

山本健吉が「俳句が志すものは波ではない。もっと実体的なもの、ひとつの刻印である」と書き「いったん十七音の様式に定着してそこに俳句的イメージを形成するや否や、その様式の時間性は失われる」(「挨拶と滑稽」1946)と書いたのは、まさに、このあたりのことだったんだと思います。

以前は、この人が、俳句は時間性を拒否するとか言うのを、えー、だって時間あるじゃんと思っていたものですが、自分が間違ってました。

もちろん、そこに言葉が読まれていく時間、あるいは、そこに描出される時間というものは「ある」んですが、その幅の時間をふくめた、なおかつ一目ですべてを見て、直覚できるような、彫刻的なもの、そういう表現物が、受け手の側に立ち上がる。うまくやれば、ですが。

こういう言葉のハナレワザは、非常に頭を喜ばせる。「あ、バナナ落ちた」なんてことが、言葉であざやかに追体験できるというのは「なにごと」か、なんですよ。

出来ちゃってるのを見ててもわかりにくいんで、例をあげます。

さる有名俳人の、あまり知られていない句に〈骰子の目の赤き一点山笑ふ〉というのがあって、波多野爽波の句集のタイトルにもなっている代表句に〈骰子の一の目赤し春の山〉というのがある。たいへん珍しい、まったく同じ内容の違う句です。(書かれたのは爽波の句が後らしい)。

骰子の目の赤き一点山笑ふ  
骰子の一の目赤し春の山   

爽波の句は、これ、ある段階に達して、何ごとかを実現している、ていうか、名句ですよね。〈赤き一点〉の句は、、、です。

〈赤き一点〉の句は、頭の中に先行するイメージがあって、それを「言おう言おう」として、言葉が対象を追いかけてしまっている。爽波の句は、そういうかんじがしないでしょう。言ってるというかんじがしない。誰かが言ったというより、そこに生えたというか、昔からあるみたいな、ことわざとか、そういうかんじ。

これが「あまりにぴったりと過不足無しに言えた言葉」というもので、これは、ほとんど、内容と、定型に「言わされている」言葉なわけですから。まったく、話者の責任というものがない。

それを、言葉の側から言えば、言葉が、話者の存在から解放されている、ということになる。
〈赤き一点〉の句は、575にはなってるんだけど、まだまだ、作者が成仏してないわけです。

繰り返しになりますが、虚子の「バナナ」の句や、爽波の「骰子」の句で、なにが起こっているか。

言葉が、定型と指示対象、双方の要求をぴったり満たしたとき。
言葉は、発話という行為の痕跡であることから解放される。

……いや、それがそんなたいしたことか、どうか、分らないんですけど(笑)。自分が、こうした句から感じている、楽しみ喜びを、それこそ地を這うようにして、ベタに言葉にしてみると、こうなる。

その条件を満たしても、下らない句っていうのは、いっぱいあると思います。自分もこういうのに憧れて、いろいろ作るんですが。「スプーンに小スプーンの混じりをり」「電線にあるくるくるとした部分」……、自分のこういう句を見るとね、やっぱり内容も大切なんじゃないかと(笑)、思うんですが。

これは、写生という方法に準備されていて、より明確には高野素十によって、示された行き方です。鬼城・蛇笏・石鼎といった人も、視覚的造形の確かな句を書くんですが、やっぱり物語性とか、季語の情緒とか、それこそ美とか、そういう価値を目指して書かれている。素十という人は、ちょっと頭おかしくて、ほんとうに没価値的に、ぴったり書くだけで、すごくおもしろいですよ、ということを発見したように思います。

昭和以前の虚子の写生句には両方あって、「露の幹静かに蝉の歩きをり」とか、これは客観写生の名作と呼ばれている句なんですけど、やっぱり、けっこう、言葉で追っかけてる句だと、思うんですよ。何を追っかけてるかっていうと、あらかじめ価値とされる、季語の情緒であるとか、美とされるような景を、追いかけている。

それだったら、ぼくは、俳句じゃなくてもいいような気がする。なぜなら、俳句は弱い表現なんで、ほかでできることだったら、そっちにまかせたほうがいい。

〈春寒や砂より出でし松の幹〉
この句は怖い句ですね。お送りした資料(*)で、澁澤龍彦のいっていた、物自体というのは、こういう句のことかもしれない。

(*) 現象世界の事物のひとつをクローズアップすることによって、現象世界の背後から、不気味な物自体がぬっと顔を出したような印象を私は受ける。この石ころ、この大根の葉は、現象であると同時に物自体でもあるような気が私にはする。物自体とは、申すまでもなくカント哲学の概念であり、要するに私たちが見たり聞いたりすることのできる現象の背後にあって、この現象の原因となる不可知物のことである。「物の世界に遊ぶ」(朝日文庫「高浜虚子集」解説 1984)

「幹が、砂から生えている」って言えば、それは、日常的な把握になるなんですけど〈出でし〉という言い方はちょっとした発明で、松は「生えて」るものなんだけど、〈出でし〉という言い方で、視線の動きを取り込んでいるんですね。

ちょっとの言い方で、見えるように言うというのが、俳句の写生というもので、これはカンペキ感に達しやすい道です。

言葉とか意志によって、注意・志向性が働くとき、人は「春寒」や「砂」や「松」をばらばらに分節してしか認識できないんですが、言葉や注意の下でうごめいてる人間の認識は、それら全てに、もっと同時に触れているんじゃないか。その同時にいろんなものに触れているかんじを、この句全体が表象してるような気がします。

ところで、この句には、季語がありますよね。そして、さっきのバナナと違って、この句の季語は、すごく働いている。句の中にものすごい情報量をもちこんでいるんです。

これがなかったら、この句、すごくコラージュめくんです。砂の上に松の写真を切って置いたみたいな、言葉だけ、構図だけの句になってたと思うんですが、ここでは、季語が生きた砂、生きた松を、この場に呼び出しているように思える。

ただ、そのあたりを敷衍することは、たぶん、ぼくの任ではない。あとの回の担当の方におまかせしたいと思います。

ただ、季語自体を価値として、季語というものがいいものなんだから、それに奉仕する俳句がいい俳句なんだ、という立場は、ぼくはよく分らない。外側の価値としての、自然や季語ではなくて、季語が、俳句の中でどう働いているかを問題にしたい。俳句には、自然ってすばらしいよね、ということと関係なく、読むべきものがあると思います。

ともかく、美しくもすごくもないものが、滋味掬すべきものとして、俳句では扱われてきた。バナナの句を、虚子も捨てなかったし、みんなも捨てなかった、という、その針に、ぼくは引っかかったというわけです。

質疑応答 :

佐原「先ほどおっしゃった、違うものを書いて、「二階」に至ろうという言い方だと、やはりある種の真善美の概念に俳句が支えられるという、旧来の「詩的」な価値に戻ってしまいませんか。そういうのとは違う上昇のしかたがありうるということを、こういう句が示していると言ったほうが正確かと思うのですが」

上田「昭和のはじめ以降の虚子は、特にあきれるほど自由で、それこそ俗なものから、崇高なものまで、書いてますけど、その中で、あ、こんなものも俳句になっちゃった、ていうのを楽しんでただけなんじゃないか。特に、方法論を意識するということは、なかったんじゃないかと」

佐原「どうでもいいものを書くということが、至上の目的のように固定化させてしまったらだめだということですよね」

上田「それは、もちろんそうですね」

高柳「発話性から言葉を解放するというのは、意味を伝達するという言葉の本来の機能を、詩によって屈折させるということだと思います。

たしかに〈川を見る〉という句は、そういう虚子の一面の現われた句で、俳句性という意味では信治さんのいうことにほとんど賛成なんですけど、虚子の本質、虚子の面白みがそこにあったかというと疑問もある。

さっき、私が言った俗受けするというのは、マスコミを意識するとか人間関係を意識するとかも、もちろんあるけれど、美の力とか、物語の力を利用するというのも、多分に俗受けに含まれていると思っていて。

やっぱり虚子は美を志向した人でしょうし、既成の世俗の物語みたいなのものを非常に敏感に感じ取って、句に生かした人だったと思う。〈川を見る〉というのは、虚子の中では珍しい句で、偶発的にできたのか、意識的にこういうものを目指して書かれたのかはわかりませんけれど、虚子の中では例外的な句だったと思う」

佐原「虚子が、碧梧桐の「温泉百句」の中のある句に、取り合せが悪い、調和がないと批判している。虚子の価値観の中にはもともと「調和」という観念が入っていたわけですね。だから虚子にとっては、写生という方法から美的なものや主観的なものは切り離し得なかった」

上田「虚子という作家の評価としては、お二人の言われるとおりだと思います。ただ、もちろん、作家の意図に沿って読む必要はないわけで」

高柳「それとも関わってくるところなんですけど、俳句という文芸の面白みはどこにあるか、信治さんの言われたようなことは、むしろ自由詩のほうで実現されるものであって、俳句は美や物語から解放されうるのか。短いからこそ、そう言う力を借りないと見られる作品としてなりたたないんじゃないかという疑問がある。

そのことが、詩であることと同義かどうかは分らない、むしろ、そういう意味では、俳句は詩じゃないかもしれないんですけど、そのことは、やはり、それは虚子を読むときも、俳句を考えることにも重要だと思います。

ほんとに、中二階を経由せずに、二階へ到達することが俳句にとって、価値をもつのかどうか」

佐原「それは子規の考えに近いのかもしれない。ただ、さっきの骰子の二つの句の評価は、それだけではできないと思う」

上田「そう、うーん、あの〈骰子の一の目赤し春の山〉って、美しいんだよねー」(笑)

高柳「その美しさがどこから来るか、ですよね」

上田「そういうことですね」


〈季語〉の幽霊性について 佐藤雄一

高浜虚子小論 
〈季語〉の幽霊性について ……佐藤雄一


一般的に、高浜虚子(1874-1959)は河東碧梧桐(1873-1937)らによる新傾向俳句に反発し、有季定型を固守したいわゆる「旧守派」の俳人とされている。

もちろん虚子の膨大な句作を概観しただけでも、そのようなイメージに回収されえない例外を見出すことは容易だ。とはいえ、子規の月並批判をおおむね受け継ぎつつ、あえて季語の温存を決意した虚子を、たとえば「季語にとり憑かれた俳人」とみなすことは、さほど不当ではないように思われる。

しかしなぜ季語だったのか。

仁平勝(1949-)は『虚子の近代』において、虚子における季語の使用について〈箒木に影といふものありにけり〉の句を引用しつつ、言及している。

「箒木」は夏の季語であると同時に、『源氏物語』や『新古今和歌集』を想起させる語でもある。緊密な読みの共同体でリファレンスの共有に終始すれば俳句は月並になる、というのが子規の主張だった。では「箒木」という語の使用はこの句を月並にしてしまっているのだろうか。

それは違う、と仁平はいう。「ありにけり」という詠嘆によって、この句は教養として捉えていた「箒木」と、今現在の夏に実感として捉えられた「箒木」との落差を提示してみせる。ゆえに月並は回避されているといえるのだ。

この落差は自分の実感が容易に共有されえないという「孤心」と言い換えてもいいだろう。既存の共同体に埋没しえない「孤心」、あるいは「孤独な内面」を逆説的な共通項とする共同体がネーションである。

逆に言えばネーションの成員であれば、絶えず現在に回帰してくる季節への実感と、過去のリファレンスとの落差に興趣を感じることができる。季語重視の虚子が主催する『ホトトギス』が広くマスからの支持を得たのはそれゆえだろう。

国民一般に拡く受容される季節詠。虚子の句をそう要約したとき、しかし、そのような要約に回収されないやや特異な季語の使用が見出せることに注意を払う必要がある。具体的に引用してみよう。

(イ)俳諧の忌日は多し萩の露  (初出「ホトトギス」昭和十二年*『五百五十句』)
          
(ロ)祖を守り俳諧を守り守武忌 (同・昭和十五年 『五百五十句』)

(ハ)もんぺ穿き傘たばさみて子規墓参 (同・昭和十九年 『五百五十句』)

(イ)の句についていえば、俳句に不慣れな筆者でも即座に凡作とわかるとるにたらない句である。しかし注目したいのは、句日記という方法論で国民に拡く共感されるように、最大公約数的なすなわち平凡な季節への興趣を詠んでいた虚子が「俳諧の忌日」というやや狭い射程の言葉に執着していることである。        
このような「執着」は一回的なものではない。(ロ)(ハ)にみられるよう、虚子はこの句に前後して「子規忌」や「守武忌」といった過去の俳人の忌日を多く詠むようになる。それは何故だろうか。

虚子自身が高齢になって近しい人がなくなり、また自身の死期も薄々感じられるようになったことで、彼岸への近しさという感覚が句に反映している。そのような常識的な解釈も可能だろう。しかしここでは、虚子の俳人としての変遷を通して、もう一歩踏み込んだ議論を提出したい。

初期の虚子は、自身の作家性を前面に押し出す意思をもった俳人だった。しかし年をとるにつれそのような作家的自意識は後景に退いていく。それは次に引用する句の「書き換え」にみてとりやすい。

(ニ)晩涼の池の萍動く見よ (「ホトトギス」大正十四年)
          
(ホ)晩涼に池の萍皆動く  (『五百句』)
          
(ニ)においては「晩涼の池の萍動く」という虚子の切り口を「見よ」と、すなわち自身の作家性を「見よ」という句である。しかし(ホ)においてはそのような作家性は消えている。では「見よ」と名指しするほどの作家性が虚子から消えたのか。おそらくそうではないだろう。「ホトトギス」への投句が膨大なものとなり、国民に拡く受けいれられた虚子はわざわざ「見よ」と指示しなくても、自身の感じた興趣は国民に共有されるという自負があったのではないか。言い換えれば虚子は「作家」から「国民作家」へと変遷したのである。

その点をふまえると、俳人の忌日を季語として当然のように差し入れるのも、俳句というレジームそのものが国民的であるという虚子の自負のあらわれと考えることができるだろう。しかし疑問は残る。なぜ「忌日」なのか。

いうまでもなく「忌日」とは過去に生きていた人間が死んだ日付のことである。生という出来事の一回性は特定の日付によって指示される他ないが、日付そのものには反復可能性がある。そうである以上、忌日は何度も現在に回帰し、死者を忘却の淵から呼び出すだろう。

いささか逸脱になるが、フランス語で幽霊を意味するrevenant(ルヴナン)は「回帰する」ことを表す動詞revenir(ルヴニール)の現在分詞形であり、まさに「回帰したもの」である。そのターミノロジーをあえて強引に俳句の文脈に当てはめれば「忌日」は死者が回帰(revenir)するまさに幽霊(revenant)的な日付ということが可能だろう。

さらに敷衍していえば何度も回帰してくる季語もじつはそれぞれが幽霊的な忌日といえないか。幽霊はフランス語でhantise(アンティーズ)とも呼ばれるが、これは「憑き纏う強迫観念」というニュアンスも持っている。

先に虚子を「季語にとり憑かれた俳人」と書いたが、俳人の忌日を季語として国民に共有されると自負していた虚子はまさに「俳句という幽霊にとり憑かれた国民」を創造した俳人といえるのかもしれない。 

さらに虚子のもっていたこの自負が、実は子規を超克したことの自負であると考えることもできるだろう。国民に拡く反復してくる忌日としての季語は、子規のようにドラマティックな人生をたどったカリスマを持たずとも俳句を受容させうる。いわば作品が作者の人生から自立したといえるのだ。虚子が子規忌を詠むとき、たんに師への素朴な追悼の念とともに、子規のような俳人のありかたそのものに対する追悼でもあったのではないか。

ここまで性急に虚子の句について整理してきたが、やはりやや牽強付会であることはいなめない。しかしこの強引な牽強付会が次なる議論の端緒となることを半ば願って、あえてラフなスケッチをそのまま投げ出したつもりではある。

最後に、子規と虚子との葛藤をめぐって書かれたこの稿を閉じるにあたって、病床に伏し、人に「幾たびも雪の深さをたずね」なければ季節を感じることもままならなかった子規に宛てて、虚子が詠んだ相聞歌と想われる句を引用したい。俳句という形式から、また死者に宛てられているがゆえに二重に不可能な。

 初蝶来何色と問ふ黄と答ふ    (『小諸百句』)
           




*通例に沿って元号を使用したが、筆者は元号そのものに疑問なしとしない。



 

旅先での〝つまずき〟いろいろ 小野裕三

俳句ツーリズム 第11回

京都・滋賀篇その2
旅先での〝つまずき〟いろいろ
……小野裕三




今回は前回の続き。所属する結社の合宿は、二日目の朝を迎えた。午前三時に就寝したにも関わらず、きちんと六時過ぎには起床。同宿の人々とともに、朝の延暦寺根本中堂に向かう。朝のこの場所は特に気持ちがいい。朝のさわやかな光が中庭に降り注ぐ。その様を見ながら靴を脱いで木張りの廊下を歩いていく、この朝の瞬間がなんとも爽快だ。

午前の句会用の選句も済ませ、朝食は七時半から。宿坊なだけに決して贅沢な素材を使った料理ではないが、それでもとても美味。この、朝食・夕食の時間での知人・友人たちとのなんということのない四方山話も合宿の楽しみのひとつ。九時から始まった句会は十二時に終了。昼食の後、玄関前で集合写真を撮って解散となる。集合写真なんて、まるで修学旅行みたいだけれど、そんな瞬間もそれぞれに楽しい。

さて、解散後、僕は比叡山を巡るバスに乗って山内を廻ってみることにした。バスに乗ってまずは横川へ。比叡山内にはもちろんいろんなお堂があって見所には尽きないのだが、俳句の視点からは忘れてはいけない場所がある。それは、「虚子塔」。それは、横川中堂から元三大師堂(ちなみにここは説明書きによると、なんでもおみくじ発祥の地だとか)にいたる道の途中に、ひっそりと立っている(写真1)。

  清浄な月を見にけり峰の寺  高浜虚子

 というのがこの地で虚子が詠んだ句。シンプルな句であるが、土地の力がきちんと感じられる、なんとも虚子らしい句だ。虚子はこの地を深く愛したのだという。

虚子の塔に立ち寄った直後くらいから雨が降り出した。降ったり止んだりしながら、それは山肌を濡らしていく。横川から西塔を経て再びバスセンターに戻り、そこから京都市内行きのバスに乗って下山。

ちなみにこの日宿泊したホテルは京都駅前のかなりちゃんとしたホテルで部屋も広かったのだが、宿泊費は一泊五千円。なぜそんなに安くなっているのかというと、ちょうど窓の外が工事中だったので(写真2)、そのため期間限定の格安物件となっていたのだった。僕はこれをインターネット(正確には携帯電話のインターネット)の宿泊予約サイトで発見したのだが、考えてみればこういう部屋を見つけたのもやはりインターネットのお陰だ。

以前は、宿の予約なしに旅行に出かけるとけっこう苦労していた。だいたいは駅前あたりにある旅館紹介所みたいなところに行くか、もしくは飛び込みで直接旅館やホテルを訪ねていくわけだが、断られることもけっこう多いし、仮に見つけたとしてもけっこう高かったり、安いところは本当におんぼろだったりした。そんなやりとりの中で、いささか心理的に不快な思いをすることもたまにあった。

ところがインターネットが登場して、しかも携帯電話から簡単に利用できるようになると、事態は一変する。日時と場所、予算などの条件を入力すればたちどころに候補のリストを示してくれる。宿が見つからないという苦労はなくなったし、それに掛けていた手間(案内所や宿のあいだをうろうろ歩き回る)が劇的に軽減された。

いや、それだけではなく、今回のようないささか掘り出し物物件も見つけてきてくれるのだから、やはり文明とは発達するに越したことはない。そんなわけで、その日は広々とした部屋のふかふかのベッドで(しかも格安!)ぐっすりと眠ることができた。

  *

翌日、京都駅からJRに乗って宇治方面へと向かった。宇治には平等院がある。あの十円玉の裏側(表側?)の絵として日常的に眼にしているわけだが、実物はまだ見たことがなかった。駅を出て太い道をまっすぐ行くと綺麗な橋があり、その袂から右折して門前町のような道を通り抜けるとすぐに辿り着く。辿り着いたのはよかったが、折悪く平等院は一部改修中であった(写真3)。

観光地に来ると、たまにこういうことがある。僕の旅行の中で一番記憶に残る「改修中」は、学生時代に訪れたローマの「トレビの泉」。周知のように肩越しにコインを投げ入れるとまた訪れることができるという俗習があるのだが、なんと改修中のため泉の水が抜かれていて、コインを投げ入れるどころではなかった。そのせいだか知らないが、確かにその後ローマを訪れる機会には恵まれていない。

話が脱線した。ともあれ、改修中の平等院を池越しに眺め、さらに境内にある宝物館に行く。いくつかの仏像を眺めて出口にあるミュージアム・ショップみたいなところを見物していると、背後からバスガイドの一団が現れた。

バスガイドの一団というのは、バスガイドに導かれた観光客の一団という意味ではない。本当に数十人のバスガイドの若い女性の一団が、みな同じ制服を着て同じ帽子を被って、一列になって現れたのである。

彼女たちを導いている旗を持ったバスガイドも一人先頭にいる。バスガイドたちを導くバスガイド? バスガイドの上位概念としてのバスガイド? 何なんだ、いったい? 

バスガイドの列はあっという間に宝物館から出て行き、そのまま出口からバスに乗り込んであっという間に去っていった。あれは何だったのか、バスガイドたちの研修旅行? あるいはバスガイドたちの慰安旅行? そんなことをいろいろ想像してみる。

宇治ではもうひとつ行きたいと思ったところがあって、それは源氏物語ミュージアム。地図によると、平等院から歩いても近い。途中のコンビニでおにぎりを買ってそれを食べながらのんびりと道沿いを歩いていく。辿り着いたミュージアムは、閉まっていた。月曜休館。そうそう、そういう観光施設も確かに全国には多いのだ。「現在改修中」とともに、たまに観光地でつまずくのがこの「月曜休館」なのである。

その日は、それから京都に戻る途中にある醍醐寺などを回って夕方にまた京都市内に戻る。宿は大津市内に取ったのでそこで食事をしようと思っていたのだが、あまりにお腹がすいていたのでついつい誘惑に負けて京都駅の中にあるカレーショップでカレーを食べ、それから大津へと向かった。

  *

大津の宿は、琵琶湖湖畔のビジネスホテル。あれ、去年もここに泊まったような気がするなあ、と思いつつ、部屋に入る。大津の周辺には、三井寺、日吉神社、石山寺、また市内には大津絵を売る店、などもあり見所は多い。去年来た時に、そのあたりの観光地はあらかた廻った。今回は、琵琶湖の真ん中(というか正確にはかなり北寄り)にある竹生島へと渡り、それから琵琶湖湖岸を観光する予定。

フロントで貰った船の案内チラシを寝っ転がって読む。事前に調べていたとおり、確かに大津から竹生島まで確かにフェリーが出ていた。しかし、よくよく見てみると辿り着くまでにやけに時間が掛かる。朝出て、島に到着するのは午後。それだと、結局一日潰れてしまう。というわけで、大津からフェリーに乗るという予定を変更し、琵琶湖東岸のどこかから船に乗ることにする。

そして辿り着いたのが彦根。彦根駅から周遊バスのようなものに乗って港まで行き、そこから船に乗る。その船着場というのが、なんともレトロな感じで泣ける(写真4)。船は、レトロな船着場に並んだ係員たちに手を振られながら定刻どおり出航(それにしても、たかが一時間程度の乗船に手を振られるのもいささか照れる)、一路竹生島へと向かった。

竹生島は、昔から謡曲などに登場するなど歴史的には有名な島。比叡山の「奥の院」と言われたこともあったらしいが、とにかく島には寺と神社、あとは数軒の土産物屋しか存在しない。つまり、普通の民家などは存在しない特異な島なのである。船から降りると、岸壁に沿って土産物屋が並んでいる。お腹が空いたのでそのうちの一軒で食事を取ろうと考え、席に座る。すると、そこには長谷川櫂氏の俳句が大きく掲げてあった(写真5)。

  半椀は茶漬としたり蜆飯  長谷川櫂

ふーん、彼もここに来たのか、と親しみを覚えつつ、店の人に「しじみ御飯定食」を注文する。しばらくして蜆飯を運んできた店の人が、「しじみご飯は半分残して、お茶漬けにするとおいしいですよ」と説明してくれる。要するに、俳句のとおりに食べるのがここでの流儀らしい。

帰りの船便を一度逃してしまったこともあって、竹生島には結局四時間くらい滞在したことになるが、清々しくてとてもよいところだった(写真6)。それから船に乗って、再び彦根に戻る。すぐにやってきた市内観光の周遊バスに乗り、今度は彦根城へ。市民ボランティアだというバスのガイドが、「彦根城はリサイクル城です」と説明をしている。大津など近隣にあった城の解体された資材を利用して彦根城は建てられたらしい。なるほど。そんなわけで、やがて彦根城に到着。

付属の博物館で能面を見物したり、城内の茶店で抹茶を飲んだり、ゆっくり過ごす時間が楽しい。こういう場所では静かに優雅に過ごしたいのだが、建物の近くに接近すると観光地によくありがちな音楽と観光案内のアナウンスみたいなものが大音量で鳴り響いている。ああ、「うるさい日本の私」がここにもあった。

観光地などで不必要なほどのおせっかいな大音量が鳴り響く「うるさい日本の私」現象は、「改修中」と「月曜休館」に並ぶ旅先での〝つまずき〟ベスト3に入ることだろう。「うるさい日本の私」についてご存知ない方は、中島義道氏の同名著書をぜひご一読いただきたい。名著である。




写真撮影:小野裕三



句集好き3 現代俳句全集1 

句集好き 3『現代俳句全集1』立風書房


赤尾兜子集

石原八束集
上村占魚集
加藤郁乎集


立風書房刊。全6巻。編集委員・飯田龍太、大岡信、高柳重信、吉岡実。
戦後俳句としては、はじめてのアンソロジー。アイウエオ順の編集で、1巻には兜子らのほかに、飯田龍太、角川源義を収録。編集・宗田安正。



後記+プロフィール 024

後記

前号からデザインがすこし変わりました。こうしたたぐいの変更には勇気が要ります。でも、夜中になんとなく決心がついて、えい、や!と変えてみました。いかがでしょうか?

マックPC+インターネット・エクスプローラーという(まったくもって推奨できない)組み合わせでご覧になっていた皆さんは、新デザインへの変更で誌面が見やすくなったと思います。

それでも、このbloggerという米製のブログサービス、意のままにならないことが多く、不細工なことになっている部分も多いと思います。そこのところは、なにとぞご寛恕ください。

  *
さて、今週号の話。関悦史さんの「前田英樹氏講演「芸術記号としての俳句の言葉」を再読する」は、小誌第19号掲載の宇井十間さんの記事にも呼応。とても刺激的で含蓄深い論考です。

小特集は、若い詩人と若い俳人なら成る「俳句と詩の会」のセッションを誌上再現した「高浜虚子を読む」。ぞんぶんにお楽しみください。

  *
ああ、こんな感じなんだなと、かつて見ていた「俳句と俳句世間の風景」は大きく変わりつつあるのかもしれません。若い人たちを見ていると、そう感じます。今号の関悦史さんの記事や小特集でも、同じ感慨をもちました。これから広がっていく「新しい風景」のなかで、『週刊俳句』はわずかながらでも存在意義を持つことができるのか。不安はありますが、希望はある、と信じて、刊行を続けていきます。

それでは、また、次の日曜日にお会いしましょう。

(さいばら天気 記)



no.024/2007-10-7 profile

■振り子 ふりこ
横浜市生まれ、横浜市在住。「百句会」、「月天」、「豈」同人。
俳句BBS「Satin Dolll」http://6801.teacup.com/furiko/bbs

関 悦史 せき・えつし
1969年生まれ。第1回芝不器男俳句新人賞城戸朱理奨励賞。無所属。

小野裕三 おの・ゆうぞう
1968年、大分県生まれ。神奈川県在住。「海程」所属、「豆の木」同人。第22回(2002年度)現代俳句協会評論賞、現代俳句協会新人賞佳作、新潮新人賞(評論部門)最終候補など。句集に『メキシコ料理店』(角川書店)、共著に『現代の俳人101』(金子兜太編・新書館)。
サイト「ono-deluxe」http://www.kanshin.com/user/42087

■上田信治 うえだ・しんじ 
1961年生れ。「ハイクマシーン」「里」「豆の木」で俳句活動。
ブログ「胃のかたち」 http://uedas.blog38.fc2.com/

さいばら天気 さいばら・てんき
播磨国生まれ。1997年「月天」句会で俳句を始める。句集に人名句集『チャーリーさん』(私家版2005年)。
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