2012-02-05

週刊俳句 第250号 2012年2月5日

第250号
2012年2月5日


photo by SAIBARA Tenki

【『俳コレ』作家特集】


齋藤朝比古 大階段 7句 ≫読む

津川絵理子 春 寒 7句 ≫読む

岡村知昭 待ち伏せ 7句 ≫読む

南 十二国 おはよ 7句 ≫読む
………………………………………………………………………
〔特集:金原まさ子生誕祭〕

■俳句作品 
十七枚の一筆箋
……金原まさ子 ≫読む

金原まさ子とは……小久保佳世子 ≫読む

金原まさ子さん101歳お誕生日インタビュー
……聞き手:「週刊俳句」上田信治 ≫読む

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千代田区麹町六丁目七番地
……金原まさ子 ≫読む

金原まさ子断章 ≫読む

………………………………………………………………………

〔週刊俳句時評58〕
あいまいで不都合な「自然」……松尾清隆 ≫読む

リアリティーの獲得
『今、俳人は何を書こうとしているのか』を読んで
…… 野口 裕 ≫読む

【連載】
朝の爽波 03……小川春休 ≫読む

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〔総合誌を読む〕
「俳句」2012年2月号を読む……生駒大祐 ≫読む

後記+執筆者プロフィール……生駒大祐 ≫読む


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後記+プロフィール250

後記 ● 生駒大祐

週刊俳句は今号で無事250号を迎えました。読んでくださっている皆様、いつもありがとうございます。週刊俳句は読者・寄稿者の皆様のおかげで成り立っています。僕が運営に加わったのが昨年の1月30日号からなので、ちょうど一年。いや、はやいものです。



全くの私事なのですが、去る2月2日に修士論文の発表会が終わりました。僕の修士生活も終わりを迎えようとしています。さまざまなことが変化する春が、やってきます。



今号は金原まさ子さんのお誕生日記念特集。インタビューに写真館と盛りだくさんです。どうぞお楽しみください。また、時評には新たに松尾清隆さんが加わりました。今後とも時評をよろしくお願いいたします。



それでは、また次の日曜日にお会いしましょう。


no.250/2012-2-5 profile


齋藤朝比古 さいとう・あさひこ
1965年東京生れ。1993年より石寒太に師事。「炎環」同人。「豆の木」副代表。第21回(2006年度)俳句研究賞。

■津川絵理子 つがわ・えりこ
1968年、兵庫県明石市生まれ。91年「南風」入会。2007年、俳人協会新人賞、角川俳句賞受賞。

■岡村知昭 おかむら・ともあき
1973年滋賀県生まれ。「狼」「豈」同人。

■南 十二国 みなみ・じゅうにこく
昭和55年生まれ。平成18年2月、「鷹」入会。小川軽舟に師事。平成19年、鷹新人賞受賞。「鷹」同人。

■金原まさ子 きんばら・まさこ
1911年東京生まれ。
「草苑」創刊同人、「街」同人。
句集『冬の花』『弾語り』。
『遊戯の家』(2010.10月刊 金雀枝舎

■小久保佳世子 こくぼ・かよこ
1945年生ま れ。「街」同人。句集『アングル』。

■松尾清隆 まつお・きよたか
1977年神奈川県生まれ。「松の花」同人。


■野口 裕 のぐち・ゆたか
1952年兵庫県尼崎市生まれ。1952年兵庫県尼崎市生まれ。二人誌「五七五定型」(小池正博・野口裕)完結しました。最終号は品切れですが、第一号から第四号までは残部あります。希望の方は、yutakanoguti@mail.goo.ne.jp まで。進呈します。サイト「野口家のホーム ページ

■小川春休 おがわ・しゅんきゅう
1976年、広島生まれ。1998年「童子」入会。2009年「澤」入会。現在「童子」同人、「澤」会員。句集『銀の泡』。サイト「ハルヤスミ web site

■上田信治 うえだ・しんじ 
1961年生れ。「ハイクマシーン」「里」「豆の木」で俳句活動。共著『超新撰21』(2010)。ブログ「胃のかたち」

■生駒大祐 いこま・だいすけ
1987年三重県生まれ。「天為」「トーキョーハイクライターズクラブ」「手紙」所属。「東大俳句会」等で活動。blog:湿度100‰

金原まさ子101歳お誕生日 インタビュー

金原まさ子さん
101歳お誕生日
インタビュー


聞き手:「週刊俳句」上田信治


金原まさ子さん(句集『遊戯の家』)が、この2月4日に101歳のお誕生日を迎えられるということで、「週刊俳句」がお話をうかがいに参上しました。

駅まで、金原さんのお嬢さん・植田さんに迎えに来ていただき、小久保佳世子さん、柴田千晶さんとともに会場となる和食店に到着したとき、金原さんは、新聞に載った「ハッテン場」の記事と「田中慎弥」さんの記事の切り抜きを眺めていらっしゃいました。

そして、上田にと、坂本龍一出演のラジオ番組のカセットテープ、「音楽専科増刊 8ビートギャグ」(懐かしい!!)などなどを、お譲り下さいました。



上田 坂本龍一さんのファンでいらっしゃるとうかがったんですけど、それは、やっぱりYMOのころからですか?

金原 違うんです。「戦メリ」(大島渚「戦場のメリークリスマス」)からなんです。

あの映画で、はじめてああいう世界を目の当たりにして、本当に美しいと思って。もともと私の心の中にあったものではあったんでしょうけど、「目覚めて」しまったんですね。それからずっと目覚めっぱなしで、家には、本とかビデオとか、坂本コレクションが、いっぱいあるんです。

上田 ということは、坂本さんのことは、美しい男性、としてお好きなんでしょうか。

金原 「アナザーカントリー」とか「モーリス」とか、ああいう映画がありましたでしょ? ああいうのが好きなんですねえ。

上田 金原さんは「腐女子」でらっしゃる。

金原 はい?

上田 美しい男性たちの世界が好きな女性たちが、そう自称してるんです。特に、マンガの世界で。

金原 そう! 私、萩尾望都の全集も持ってます。『ポーの一族』や『トーマの心臓』には涙しました。

上田 萩尾さんは、腐女子の神ですね。ああいう美意識の正当性を定立した人、と言われています。そういえば、「街」のエッセイでは、三島由紀夫と堂本正樹のロマンスに触れていらした。

金原 それも、ヨノイ(「戦メリ」での坂本龍一の役名)以降なんですけどね。堂本さんの書かれた小さな本の中で、三島に手をほめられたから、毎朝、熱いお湯に手をひたした、という話が書かれていましてね。



上田 そのエッセイの時代のお話からうかがいたいんですが、銀座のカフェや、ダンスホールが遊び場だったそうですが、そういうところは、お小遣いで入れたんですか。それとも、女性は払わなくてよかったとか。

金原 いえいえ! その中に出て来る男性達は「今日は、ぼく、ゲル(お金)ないんだ♡」なんて言うような人たちですから。

上田 ドイツ語由来の学生用語ですね。

金原 はい。そうしたら「よろしいのよ」って言って、私たち女が全部はらってあげてましたから。みんな慶応ボーイでね。お金をテーブルの下で渡すと、それをもって、彼らがレジへ行くんです。

上田 へー、モボ・モガってやつでしょうか。ご実家は麹町だったそうですけど、ご裕福でらしたんですか?

金原 普通のサラリーマンの家でした。父は、三和信託(銀行)の不動産の仕事をやっておりましたので、家にもいろんな業者が出入りして、暮らし向きは派手でした。そういう家の中で、私は、ひとり遊離して、部屋で一人っきりで本ばかり読んでました。

上田 夢野久作ですか。

金原 はい。「新青年」てご存じ?

上田 探偵小説雑誌ですよね。1980年代に、復刻本が出たりしてちょっとしたブームになりました。

金原 「苦楽」はご存じ? 同じ傾向の、もっとひどい…。

上田 猟奇的な?

金原 そう!本屋が、当時はつけでしたけど、ウチのものは誰も明細なんか見ませんから、そういう本が買い放題で。ああいう妖しい世界に一人でひたってましたの。

上田 あの、まさ子さんの初期の作品「河骨のかげでうっすら目をひらく」「火あぶりの火の匂いして盆踊り」(『冬の花』)などには、夢野久作の猟奇歌の影響があるのではないですか。

金原 そう!それは、ぜったいありますね!他に好きだったのは、初期の乱歩とか、龍膽寺雄、川端康成の「片腕」とか……。

上田 今でいう「サブカル少女」でいらしたんですね。学校にそういうの、読んでらした方って、他にいらっしゃいました?

金原 私は友達が一人もいませんでした。だって「少女の友」とか「令女界」とかを読んでるような人たちで、私もそういうものは読みましたけど、とても話ができません。

上田 銀座で遊んでらしたのは、どういうお友達だったんですか?

金原 女学校を卒業して、飯田橋にあった大きな料理学校に入ったんですけど、そこで知り合った女友達と、ダンスの世界に触れて、私は男性なんか全く知りませんか ら、まあ、こんなふうにして一緒に踊るんだ、っていうので、わーっと夢中になってしまって、フワーッとへんなのに引っかかってしまった(笑)。

料理学校と言ったって、着物着てお太鼓締めてその上にかっぽう着でしょ。お料理を習ってると「金子(旧姓)さんお電話ですよ」って、教室に呼び出しが来るんです。行ってみると、あの人から「今日、学校終わったら、待ってるから」って。そういう学校でした。

上田 不良じゃないですか(笑)。

金原 あら、娘の前でこんなこと、教育に悪い(笑)。



上田 すてきなお父様だったんでしょうね。

植田 おしゃれでねえ。

金原 ゲーリー・クーパーに似てた。もてて、もてて。ダンサーと問題を起こしたりして。

上田 おやおや。ダンサーって、どういうダンサーですか。

金原 新橋のダンスホールの人。ダンスホールのシステムって、ご存じ? ホールにダンサーやダンス教師がいて、チケットを買うんですね。1回踊ったらチケットを一枚渡すんですけど、だれも一枚ずつなんか渡さない。20枚なら20枚買って、2、3回分しか使わないで全部渡すとか。

バンドにリクエストして好きな曲をやらせたりして、お金を使うもんだから、もててしまって。戦争が終わったという開放感もあったと思います。それで、すてきなダンサーがいて、そういうことになってしまって。

でも、おかしいのは、私、主人の恋人がちっとも憎めないんですよ。全くこちらにお金を入れない時期もありましたけど、遺産が多少はありましたし、月に一度くらい古物商の人が「近くに来たから寄ります」とか言って来ては「この絨緞、もうよろしいんじゃないですか」って、買っていったりするので、なんとかやっておりました。

そうこうしているうちに、あの人は「なんにも言わずにぼくの全てを、受け入れてくれる?」とか言いながら、イバッて戻ってきて(笑)。

上田 さっきの「今日ゲル無いんだ」も、そうでしたけど、そこまで自分が愛されることに自信をもってる男性って、どうなんでしょう(笑)。

金原 その時代の男の人は大体そうではないのですか。よく知りませんけど。へらへら笑いながら「ぼくは幸せだなー」って言ってましたよ。77歳で亡くなるんですけど、入院して「目が覚めると、君がそばに座っていてるから、ほっとするよ」なんて、言うようになりましたのよ。だから、あなたも、お気をつけあそばして(笑)。

上田 えー(笑)今のお話は、どこが教訓だったんでしょう(笑)。


右から、金原さん、上田、柴田千晶さん、小久保佳世子さん、植田さん

上田 ご主人は、出征はされなかったんですか。

植田 この人(金原さん)に、お父さんどこか戦地に行ったのって聞いても、知らないって(笑)。

金原 非常召集っていうんですかね、空襲警報があったりすると、かり出されて行くだけ。終戦間際にいちおう召集されてますけど、戦地には行ってないわね。

上田 運が良かったんですねえ。

金原 空襲で実家は燃えましたけど、直には経験してないですしね。群馬に疎開して、空襲警報があると、押入に入って日本文学全集を読んでた。

植田 私のお雛様を持ってきていて、疎開先の人に文句を言われたんですよ(笑)。

金原 そう、お茶碗も先方のものを借りるような生活だったのに、お雛様とかアルバムとか、生活に関係のないものばかり、持ってきていたから。お雛様は、いま、この人の孫のものになってますよ。

上田 本当ですか。東京の人で、それ珍しいんじゃないですか。

植田 そういう人……(笑)。

上田 ご結婚は昭和8年ですか?

金原 えーたぶん、それくらいですね。私、年表に弱くて。

上田 戦後のキャッチフレーズで「昭和8年にもどりたい」というのがあったそうで、景気のいい楽しい時代だったらしいですね。

金原 まあ、そうだったのかもしれません。ちょうど、今日(2月1日)なんですけどね、記念日は。

上田 おお、そうでしたか。



上田 NHKの朝の連続テレビ小説、いつも戦前から戦中、戦後にかけてのお話やってますけど、ご覧になります?

植田 この人、見ないんですよ。私は見てるけど。

上田 経験された時代は、まさにぴったりですのにねえ。

金原 あなた「ミタ」は、見ない方?

上田 「家政婦のミタ」ですか(笑)? すいません、ぼくは見てないです。

金原 あー、やっぱり世界が違う(笑)。あなた(柴田さんへ)、見るでしょ?

柴田 見ます。

金原 そう。小久保さんも見ない人です。

上田 「カーネーション」評判いいみたいですけどね。あ、最近「オールウェイズ三丁目の夕日」なんていう、昭和30年代くらいの映画も、当たってるみたいですけど。

金原 ブログをはじめたら時間がなくて。今を知るのが優先で読みたい本もこんなにたまってますし。ホームドラマよりは刑事物が。「相棒」とかね。

上田 …あの、多少、俳句のお話も、うかがってもよろしいでしょうか?(一同笑)

金原 上田さんが私に俳句の話を聞いてもなんのプラスもありませんよ。ど素人ですから。

上田 いえいえ、とんでもない。まず、お借りした第一句集と第二句集を含む、作品の感想を言わせてください。

金原 上田さん、飲んでいらっしゃる? ハイボールか何か頼みましょうか(笑)。

上田 はい、だいぶいただいています。えー、第一句集『冬の花』は、手堅い自然詠もあり、さきほど触れた奇想もありという句集です。

 『冬の花』 
紅梅に雨降る沖は照りながら   
茸狩へ畳のくらさ踏み出でて
火あぶりの火の匂いして盆踊り
山寺や白萩が咲き火が熾り
 
藁いろの月射している花西瓜
おもしろの世や菜を漬けて小半日
クレソンに水照りはげしき人の恩
逝く年の定かならねど木の根っこ
網膜の赤ながれだす夕花野
鯉の麩を食べて媼に日の永き
         

上田 実景を元にしていても、どこか、実から虚へむかうものが感じられる句が多いです。

金原 私は、いったん見て、目をつぶらないとダメなんです。見たものにとらわれてしまっては絶対ダメで、頭の中ではなんだって出来る、という書き方。

上田 「紅梅に」は、ちょっと秋桜子ばりですね。

金原 ああ、それは、唯一ほめられた句ですね。私「馬酔木」にも二年ほどいましたから。ずっと一句欄か二句欄で。その後、人に勧められて「春燈」に入ったんです。

そのころは、主人が戻っていたものですから、昔の気分になって「花合歓や昼逢ふ紅は薄くさし」なんて句を出していましたら、安住敦 が、そういうのが好きでどんどん上位に上げて(笑)。あとから実は昔の話でと言ったら、安住さん「ホッとしました」なんて言ってましたけどね(笑)。

上田 それまで、だいぶドキドキしてたってことですね(笑)。第二句集『弾語り』は、もう自由に唄いはじめられている、といった印象です。「夏萩の葉のうす青き「豊」の死」なんて尾崎豊の死を詠んだ句が入っていたり、自在で、発想が面白い句が多いです。

『弾語り』
春愁を辿りてゆけば二階かな
失語症さふらんの葉をこまむすび
野茨を自己戴冠す誕生日
七月のころりと皿にたらこかな
あけび食ふ若しやもしやと生きて来て
鳥わたるぱたんぱたんと肉叩き
白い粉匿す白粉花の種の中
針金の輪つかの上の菊の首
錠剤は青が効きさう風花す
次の世がちらつく釜上饂飩かな
         

「菊の首」はヨハネの首ようでもあるし、引っくりかえしの天使の首のようでもある。「釜上饂飩」は万太郎の「湯豆腐」の変奏でしょうけど、もうもうと湯気の 上がる地獄の釜のようでもあり、うどんが白いだけに天国的でもある。「鳥わたるぱたんぱたんと肉叩き」は、説明しがたく好きな句です。


上田 それで評判になった一昨年の『遊戯の家』、 ここで、それまでそれほど目立たなかったエロスの要素が前面に現れてくる。巻頭が「春暁の母たち乳をふるまうよ」ですからね。春ですから、若い母達が、赤 ちゃんを産み育てることまでを含めて、思いっきり官能を楽しんでいる。「母たち」の「たち」がいい。「春暁」も、女性たちの頬の紅潮が見えるようです。HIVで亡くなったデレク・ジャーマンが、原発の見える荒涼とした土地に作った庭をモチーフにした「ガーデン」の連作も素晴らしかった。

『遊戯の家』
春暁の母たち乳をふるまうよ
囀りのごときにふけり神々は
老人の血は酸っぱいと鳴く春蚊
合歓の家毛深い神が出入す
赤いところで氷いちごは悲しんで
夕顔はヨハネに抱かれたいのだな
 「ガーデン」
朴散るたび金貨いちまい口うつし
ああデレクポピーから顔あげるとき
月白く出てニワトコは殺しの木
薄荷油を塗りあってヨハネ・ルカ
・マルコ


金原 それは完全に、ヨノイの影響ですね。

上田 ああ(感嘆)、ほんとうに、坂本龍一の存在は大きかったんですね。エロスという意味で。

金原 坂本さんは最近、政治のほうへ行ってしまって、いい人になっちゃって、おとなしくて、ちょっとつまらないですけどね。たとえば『家畜人ヤプー』、「街」では私たち(柴田さんへ)二人くらいしか読んでないと思うけど。

柴田 はい、読んでます。

金原 あれの分厚い本があったんだけど、このあいだどなたかに差上げてしまって。あなたは「ヤプー」とかは、お読みにならないでしょ。

上田 ええ(笑)読んでないです。

金原 あ とは河野多惠子の「半所有者」、平野啓一郎『日蝕』、町田康、寺山修司。ロックで言えば、プリンスもデビッド・シルビアンもコンサートを見に行っています。そんな人 たちが好きです。田中慎也さんの小説もこのあいだ読んで、すさまじかった。上田さんは「清く正しく美しく」のほうの方ですから、こんなこと 申し上げるのは、恥ずかしいのですけど。

上田 清く…はあ、どこで、そう思われたか、よく分かりませんが(笑)。

金原 私の憧れは、小説家になることだったのですけれど、まったく書けませんでした。瀬戸内寂聴は、万巻の書を読んでも、文章を書けない人というのはいる、ということを言っています。あんなに読んできたのに、まったく文章が出てこないんです。

上田  あの、青山二郎って人はするどいんで有名ですけど、まったく文章の書けなかった人だそうで。なにかテン ションが文章に向いてない、という人もいるんだと思います。

ただ今回、再録させていただく、金原さんの「街」掲載のエッセイも、『弾語り』のあとがきも、散文詩のようで、ぼくはすごくいいと思いました。

金原 はい、うかがっておきます(笑)。

上田 ほんとにほんとですよ(笑)。これも今回再録させていただきますけど、新作「らんno.56」(2012冬号)に掲載された「十七枚の一筆箋」も面白い。

小久保 ブログの句もすごく面白いですよ。

上田 小久保さんのご尽力ですよねえ。

小久保 今日の句の「オムスクトムスクイルスノヤルスクチタカイダラボ春の雪」なんだろうと思ったら、シベリアの地名なんですってね。猫髭さんが、ブログのコメント欄で。

金原 あの方、本当になんでもよく知ってらして。私、小学校で習いました。あなた、習わなかった?

上田  習わなかったですけど(笑)、金原さんがスゴイと思うのは、俳句が変化して発展しているということで。

あの、飛躍するようですが、人間の精神が衰えないとい うことは、人間、死なない!っていうことじゃないですか。これはですねえ、希望ですよ(←だいぶ、酔っぱらってきているようです)。

金原 関悦史さんて、どんな方なのかしら。

上田 いい人ですよー。あんまりエゴというものを感じさせない人ですね。男の人って、すぐ張り合うじゃないですか。そういうのが、あんまりない。言っちゃえば天使みたいな(←酔ってます)。

金原 私のようなものの名前を、期待する人として挙げていただいて、きっと関さんはおモテになるから、めったな人の名前を挙げるとその人が嫉妬されるから、金原とでも書いとけ、と思われたんじゃないか、と(一同笑)。私、悪く悪く考えるんです。

上田 坂本龍一さん以降、これは、という男性はいらっしゃいますか。

金原 坂本さんを越える存在はないですね。

植田 この人が、ひところ言ってたのは、浅野忠信とか。GACKTとか。

金原 ああ、そうそう。小栗旬とかね。

上田 みごとに顔がきれいな人ばっかりですね。ここ(会場となった和食店)の店長さんも、なかなかカワイイんじゃないですか。

植田 イケメンですよね。

金原 はい? ああ、まあ員数には入れておきましょ(笑)。でも、そんなに顔ばっかりでもないんですよ。内田裕也とか、忌野清志郎も、いいなと思いました。清志郎は、坂本さんとずいぶん長くキスする場面がありましたね。

上田 ああ「いけないルージュマジック」の時ですね。なつかしい。沢田研二さんとかは、どうですか。

植田 あ、それは私(爆笑)。

金原 そうそう、この人はね、子育て中にタイガースにはまって、ファンクラブ活動もやっていて。

上田 遺伝ですねえ(笑)。金原さんは「草苑」にいらして、カッコいい女性もたくさん見てこられたんじゃないですか。桂信子さんの印象とかいかがですか。

金原 桂さんは、1足す1が2になる人でした。善人なおもて、が分からない。「善人しか往生はできません、悪人は往生しちゃいけないんです」っていう人でした。宇多 喜代子さんが、遺品整理のとき、机に「歎異抄」があるのを見て、涙が出た、って言われてます。きっと、周囲に、悪人正機はほんとうですって言われて、 悩まれたんでしょう。

私が1足す1は大きな1だ、っていう句を書いたら、1足す1を2にいたします、っていう句を書かれるような方でしたけど。

上田 でも、その宇多さんも、本来「清く正しく」の側の方ですよね。そして最近は「らん」で、鳴戸奈菜さんと。

金原 はい、鳴戸さんに、「あなたは何やってもいいんだから、やりたいようにやらなきゃ駄目よ」と言っていただいて、ほんとに自由にやらせてもらってます。

上田 鳴戸さんも、じつは、とっても「清く正しく」ですよね。

金原 そう。あの方は「青年を見詰む口中に生卵」なんて作られていながら、清く正しい方です。

上田 僕、思うんですけどー(酔)、暗いほうへむかう情熱っていうのは、長い間にダメになることが多いように思うんですよ。だから、金原さんも、本来、明るくて強いかただから、暗い世界、あやしい世界を楽しんでらっしゃるんじゃないですか。

金原 それは、そのとーり! よく言って下さった。それを理解していただければ、私はなんでも言えるんです。私は、書くものそのままのような人間と思われることが、もう嫌で。でも、そこで遊んでいると、癒しがあるんです。救われるんですよ。心が健やかになる。

上田 光が射してると思いますよ。金原さんの句は。

金原 私は、柴田トヨさんや、日野原重明さんのような方を尊敬しています。でも、やっぱり人間が違う。いっしょにされたくはないんです。日野原さんはね、全ての人が許し合えたら戦争はなくなる、なんて、おっしゃっています。

上田 それは、よく言うよ、かもしれないですね(酔)。

金原 あの方は、お体も丈夫で才能もあって、お金もあって「お幸せ」なんです。私が、直接的に幸せになれるとしたら、こんど宝くじが4億6千万円になりましたから、あれが当たれば幸せになれる(爆笑)。

上田 何年、生きられるおつもりなんですか(笑)!

金原 みんなにダイヤの指輪を買ってあげる約束をしています。週刊俳句にも、何千万円か寄付をさしあげますので(笑)。

上田  (笑)それは、大変ありがたいですけど、金原さんは、もう、書きつづけているわけですから。それは、もう日々財宝をね、ぱーっと撒いてるみたいなもんですよ。ですから、ここは、ひとつ、なるべくたくさん生きていただいて。あ、そうだ「百一回までよ老人の縄跳びは」「百二回までよ鞦韆も毬つきも」(『遊戯の 家』)って書かれてたじゃないですか。百一回は、もうクリアしてしまわれたんで、百三回めの句を作っていただいて(笑)。

金原 よかったら、また、桜の咲く頃にでもいらしてください。

上田 はい、じゃあ、百三回目の桜まで予約しておきましょう。

金原 「戦メリ」の演技では坂本龍一よりビートたけしが評価されましたけど、そのたけしが、こんなことを言ってるんですよ。人に「おやすみなさい」っていうのと「ばばあ殺してくそして寝ちまえ」っていうのは、同義語だって。

上田 はい。

金原 それが、私のねらいです。

上田 ああ、なるほど! 本当だ。それこそ悪人正機じゃないですか。いいですねえ!

金原 今日は、上田さんの前ではだかになりました。

上田 いえいえいえ、まだまだ(笑)。ぜひ。また、うかがわせていただきます。

金原 そろそろ大団円? 

上田 はい、今日は、ほんとうに長時間、ありがとうございました。

千代田区麹町六丁目七番地……金原まさ子

千代田区麹町六丁目七番地

金原まさ子

「街」no.81(2010/2)号より転載


一九三十一年──私──二十一歳
「街」 のおおかたの方々が、 まだこの世に生を得ていらっしゃらない頃です。

私達は銀座松坂屋裏の、 ブランスィックのボックスで珈琲を飲んでいる。 映子夫人──二九歳麗人──、 私と同年の光子さん、学校出たての若い男性三人組という顔ぶれ。

映子さんがのむ長くて細い外国煙草から匂いの良い煙が流れる。前に座った三人組がやたらにドイツ語を会話に混ぜながら盛り上がり、 光子さんと私は本当は蜜豆が食べたいのに我慢しながら (ここには置いていない) にがくて黒い珈琲を啜っている。

おそい春の昼下がり。
 
十幾年か後、このブランスイックが三島由紀夫の根城となり、 小説家や芸能人が足しげく出入り、 且フリル付き、白サテンのブラウスを着た美少年が、 銀盆を持って行き来する「あのブランスィック」に変貌するのだ。

私達が椅った高い木の背もたれは更に高くなり、 椅子は緋のビロードに変り、ボックスはより深く…。

細身の白パンツの三島由紀夫が、堂本正樹の掌に、
「君、綺麗な掌してるね」
と言いながら、生ハムのサンドイッチの一片を載せるのだ。堂本正樹は毎朝、熱い湯に掌を浸すことをする。

平日の銀座通りの、程々の雑踏の間をやわらかい風が流れる。京橋の日米ダンスホールへ歩いて十分──昼間のホールの白々しい灯。フロアの半分程が埋まっている。勿論ダンサーはいない。パートナーを連れていない女性客の為に男性ダンス教師が控えている。バンドなしレコードのみ。そうです。昼間のダンスホールは本格の社交ダンスを習ったり、練習したりする教習所でもあるのです。タンゴ、ワルツ、ブルース、クイックステップに限り、ジルバなど踊りたい人はフロアの端に遠慮しなければならない。我々は、常にこの上昇志向のベクトルを保ちつつ、ときに、チークなど試みるカップルに軽蔑のまなざしを投げ、難しいバリエーションステップの学習に励むのだ。

ホールにシャンデリアが輝きはじめ、光子さんと私に帰宅時間が迫ろうとしている。

実を言うと我々は、その時通っていた飯田橋料理学校へ行く為、 朝八時に家を出ているのである。学校は午前中で早退、しかじかの午後を過ごしたワケだが、六時半の枠内に帰宅し、「今日は学校の帰り、三越へ寄ってそれから資生堂パーラーでフルーツボンチを食べて来ました」と言えば「寄り道は、度々はいけませんよ」で済むのだ。

銀ブラ人種と言う族がいて、 銀座四丁目から新橋へかけての右側の通りを十回以上往復しないと眠れないと言い、連日のように夜の銀座へ繰り出す。左側は夜店が出るからダサイと言い見向きもしない。往っては戻り往っては戻り一体何だったのだろう。でもたまにそういう仲間に加わるときがあると、その夜は全く眠れず、森茉莉がイギリスの見知らぬ名門の老人から「茉莉へ」と言って宝石が贈られてくるのを夢見るように、 あしたは何か素敵な運命が待っているのではないか──と夜っぴいて読み耽るのは夢野久作ではなかったか。

何もかも遠い。

記憶が編年体でよみがえることをせず、 あちらこちら固まりとなって現われる。 人はアンラーンすることで生きてゆけると聞くが、 私の長生きは並はずれたアンラーンの仕業かもしれない。

東京に六十年、横浜に移り住んで三八年、長い間都会に住む人は、焚火の火や、ランプの灯をなつかしむと言うが、私は九八歳の今でも都会の灯が好きだ。胸がしめつけられるほどに。

ちょっと戻って、銀座で私達と別れた映子夫人たちはローマイヤで食事をとり、東京一ゴージャスな赤坂溜池の、 ──ああ名前が出て来ない──「・・・ダンスホール」へ行ってラスト迄踊るのである。ちなみに、あの三人組の一人が光子さん(別の名まさ子さん)の二年後のご夫君であった。

麹町六丁目の家は五月一五日の空襲で焼け失せた。

金原まさ子断章

金原まさ子断章


私達はなぜ眠るのか──睡眠は21世紀に残された謎の一つ──ネズミを眠らせないでおくと二、 三週間で死んでしまう。では眠っている間、脳は何をしているか──記憶の整理や増強、消去などが行われているという。

将来モニターにそれら一切が映し出される日が来るかも。音声付きで。ところでスペインではモルヒネは駄目で、マリファナはよろしいというのは本当でしょうか。

「音声付きで」(「らんno.56」2012)



(…)俳句はこの後も咽喉に刺さった小骨のように私を刺激しつづけるでしょう。一読安らぐ句を作りたいと思いつつ、また一読身ぬちを貫くような句を書きたいとも思います。この思いは壮年で逝った娘の夫を偲ぶとき、幼く死なせた私の長男を哀れと思うとき深増さるのです。

句集『冬の花』あとがき(1984)



米寿とか古稀とか云うのはまうやめませう私達と思っていましたのに私がその米寿になってしまいました米寿。

それはさておき、森茉莉はその晩年「魔利のひとりごと」の中で御自分のことをこのように書いています。

「(私は)馬鹿げて楽天的に出来ていて、ふと星の煌めく空を見上げて、天からお札が降って来たら素晴らしかろうと想ったり、英国の女王か、英国の貴族のお爺さんから、茉莉さんに贈る、という黄金色(きんいろ)に輝く紋章入りの手紙つきで、大きな宝石が送られてくるような幸福がどこかにあるような、そんな奇妙な想いを胸に抱くこともあるのである。」

文中「お爺さん」と限定する所がおかしくてかなしいのですが、私もほんの少しそのような気分の人間であるらしく、たとえば夜中ふと目覚めて憑かれたように机の前に座ると自分の意志とは関係なく指がひとりでに動いて珠玉のような俳句が生まれつづけると好いなと思ったり、凄い小説が五百枚位一夜で書けないものだろうかと祈るような気持で考えることがあるのです。これはひみつですが、かつて昼間ひとりでゐる時ひそかにスプーンを撫ぜて努力したことがありました。駄目でしたやっぱり。そういう馬鹿げた私ですからおのづから俳句もその気配が濃いです。

(…)

現在俳句は私にとって身近な存在ですがいつの日か、遠くで明滅するともしびのようなものになるのかと想い、その日まで熱烈に書きつづけてゆきたいと思っています。

句集『弾語り』あとがき(1999)


金原まさ子写真館

金原まさ子写 真 館




「草苑」桂信子と


101歳お誕生日インタビュー












金原まさ子とは 小久保佳世子

金原まさ子とは

小久保佳世子


立春、金原まさ子(敬称略)は101歳になった。

2011年6月末から始まった「金原まさ子百歳からのブログ」は、夏休みや小休止を入れながら、ほぼ毎日一句の新作発表が続いており、私はそのブログ更新の管理作業を通じて金原まさ子という俳人に心底驚かされている。

2010年5月、第3句集『遊戯の家』発刊の打ち合わせの為、句集の発行元で「街」の誌友の柴田千晶と共に私は初めて金原まさ子に会った。待ち合わせの茶寮へ彼女は一人で現れ、俳句、文学(ちょっとここでは書けないカゲキな話題も)などの話が弾んだ。大袈裟に言えば、その日から私は老いが怖くなくなった。ナマ金原まさ子の批評精神の怪物的エネルギーにすっかり魅せられてしまったからだ。今日、元気な100歳は珍しくなく、100歳の俳人もいるに違いないが、その中でも金原まさ子は特筆されると思う。その理由は、毎日一句ネット上に発表される作品が文体も含めて日々新しく、挑戦的で、意味から開放された「何か」を語っていることではないだろうか。それは100歳だからこその自由かも知れず、行けるところまで行くという覚悟と努力の賜物とも思う。諦念やギブアップは金原まさ子には無いと断言できそうだ。

(ブログ近作より)

水が上って白菜が浮く石棺ごと

中位のたましいだから中の鰻重

ごうごうと寝息地中の娼たちの

云うなれば咽喉通る酢海鼠の気分

凍蝶へ・個室入居可限定四拾頭

二階は地下どんでんがえしの鼬かな


ややエピソード的になりそうだが、私が彼女と交わした会話を基に金原まさ子を探ってみたい。

金原まさ子は東京山の手育ち、いわゆる大正ロマン時代に青春を送った人だ。割合自由に育ち、一人っ子、人見知りで友達も少なく「本」が唯一の話し相手だったという。友達が「少女の友」「少女倶楽部」「令女界」などを読んでいる時、「新青年」「苦楽」「譚海」など、大人びた雑誌に親しみヴァンダインや初期の江戸川乱歩、夢野久作などを耽読、その孤独な楽しみの果てに異端好みの金原まさ子が生まれたと思われる。本人曰く「清らかな乙女の時期もあって」17歳で読んだ谷崎潤一郎の『痴人の愛』の譲治には一年以上腹を立てていたとか。

その読書体験には初めから知的好奇心に勝る身体的共感の要素を感じる。資質が似ている作者にはマニアックにのめりこんでゆく気配がある。金原まさ子の俳句の重要なテーマは「肉体」だと思うが、それは「私は人間の人間らしさが好きであり同時に人間の動物らしさが好きである」と『みいら採り猟奇譚』のあとがきに河野多惠子が記した言葉に通うのではないだろうか。

「ミシマの自決一年前大岡昇平が『あの人は日毎に喜劇的になってゆく』と書いています。私はミシマのヒトにワラワレている部分が好きです。その他はキザでペダンチックで全くコッケイです。涙がでます」という私信を受けたことがあるが、これは金原まさ子が自分の作品を評しているのだと思った。

この世にあるかぎり動物と変わりなく行う「食欲、排泄、性欲」を大肯定し、肉体の属性のコッケイに涙し、なおそれらを禁欲した美も求める人間存在というものを客観的に見ているもう一人の金原まさ子がいるようだ。

  にくのよろこび文化の日の晩餐  (2011年10月19日のブログより)

取り澄ました「文化の日」に「にくのよろこび」をぶつけたくなるところが金原まさ子らしい。

俳句の出会いは意外に遅く、たしか50歳を過ぎてからで、本格的に俳句表現に向かったのは60歳以降だったと聞いている。猛烈な読書はずっと続いていたが表現者にならなかったのは機会に恵まれなかったこともあったかもしれないが、あるいは書くことの恐ろしさ恥ずかしさに自覚的だったからではないだろうか。

乳児だった娘さんの毎日の便の状態を絵入りで記録していて、その几帳面な育児日記を見せてもらったが生活者としても完璧主義があったようだ。「母として神のような自信があり、その結果最初の子供を殺してしまったの。食べさせてはいけないものを食べさせて」と聞いたことがある。

こんな事を知って

  春暁の母たち乳をふるまうよ (句集『遊戯の家』より)

を読むと母たちの健やかさに傲慢が漂い始め、まさ子俳句の底深さに改めて感じ入ってしまう。

「深夜、誰も通らず車も無い交差点でも信号が赤だったら絶対に渡りません」と、市民社会のルールには徹底的に従いながら、人間の「悪」に限りない興味を持つところが金原まさ子の面白いところで、それは小さい時から親しんだ「本の国」の悪人たちの魅力に起因するのだろうか。

桂信子主宰の「草苑」の創刊同人となるが、桂信子の俳句理念に必ずしもフィットしなかったようだ。桂信子の「正しさ」に違和感があったのかもしれない。現在は「街」(主宰・今井聖)と「らん」(発行人・鳴戸奈菜)に所属している。

「私の俳句つくりを文学とは思わない」と言うことがあるが、ここで言う文学は文学という言葉が纏う後ろ暗さではなく、むしろその逆の清く正しく世間に尊敬される文学ということだと思う。悪徳趣味や不良性(あくまでも虚構の世界だけ)を少女のように恥じらい、また若さの奢りさながら開き直ったように突進してゆくのが金原まさ子だと思うが、その俳句には「快楽と禁欲」の緊張感があり、それを文学と呼ぼうが呼ぶまいがどうでも良いのかもしれない。

  炬燵真赤やひろげてぢごくがきやまひ (週刊俳句2012年新年詠)

今年の新年詠だ。地獄草紙、餓鬼草紙、病草紙という新年には不向きな素材を敢えて選んでいて、いかにもそこが彼女らしく人間観察のシャープな眼差しを感じる。真っ赤な空間に犇く、醜く哀しい人間の群をかくも絢爛に描いた一句。これこそまさに金原まさ子の真骨頂の新年詠ではないだろうか。金沢文庫に仕舞われている地獄草紙を頼んで見せてもらい、時を忘れて見入った体験があったと聞いている。異空間に連れてゆかれるようなまさ子俳句に奇妙なリアル感があるのは、言葉を借り物ではなく自分のものにするまでの時間の蓄積と醸成があるからだろう。

時が進み、サブカルチャーやネットの時代になり、俳句の世界も漸く風通しがよくなり新しい波が動き始める予感がある。この波の持つ自由のイメージから、メインやサブに捉われず、素人に徹し、孤独だけれど淋しくはない「俳句遊び」を真剣にしてきた金原まさ子に、時代が追いついたのではないかと思うことがある。彼女は「週刊俳句」や「豈weekly」などに早くから注目し、熱心な読者でもある。そして「もういつ死んでもよいと思っていたけれど、これからの俳句が面白そうで生きてみたくなった」と言ったりする。

自らを「知りたがり屋」というが、その知りたがり精神が101歳になる今日まで鮮烈で興趣に富んだ俳句を産み続けるエネルギー源となっているに違いない。

まさ子俳句の「快楽と禁欲」のモチーフは今後も様々に変容し、ますます目が離せなくなりそうだ。

金原まさ子の101歳の始まりに心からの万歳と拍手を!!

「俳句」2012年2月号を読む 生駒大祐

[俳句総合誌を読む]
「俳句」2012年2月号を読む

生駒大祐

俳句2月号の特集は「俳句は瞬間を切り取る」。櫂未知子氏の総論に加え10人によるテーマ別の100句選が取り上げられている。

瞬間を切り取る、というのはかなり手垢が付いた表現で、一句の中の時間軸の幅は当然句によって異なる。そこをどう料理するのかが論者の腕であると、この特集名を見たときに思った。

その点で櫂氏の評論は明快で、瞬間を詠むというのを、まず「一瞬を長くするもの」と「瞬間のずれを詠む」に分けて論じている。これは僕の解釈では「事象にとっての瞬間」と「感覚にとっての瞬間」に分けていることに当たる。それはすなわち観察者の客体と主体のどちらにとっての「瞬間」なのかを言っていることに当たる。また、長い時間を詠んでいるような句に関しても「季語の役割」として項立てし、「季語は、その時、自分がそこに間違いなくいた証明になるからだ」と述べている。これはなかなか面白い論ではないかと思った。

一方で、やはり、テーマごとの10句選×10名の句を読んでいると、すべての句はなんらかの意味で「瞬間」を切り取っていることになるのではないかと思ってしまった。実作者にとって重要なのは、自身がどういう時間軸で句を読もうとしているのかを把握し、読者にとっての時間感覚を制御する意識を持って句を作ることではないだろうか。

小特集である「採る一句、採れない一句」については、柏原眠雨氏の論が基本的なところを押さえていて良かった。全体として、やはり感性は人によって違うので、師事していない人間が主宰の選の基準を聞いてもあまり響かないように思った次第。

個人的に非常に興味深い連載である「往復書簡 相互批評の試み 岸本尚毅×宇井十間」は「第2回 俳句の即物性について」。

岸本氏は「客観写生は韜晦である」という自説について話を展開している。ざっと記すと、岸本氏は客観写生を蠅というものの描写において、
「客観写生の態度は『蠅はたんなる蠅』ということではないでしょうか。そこには、俳句による殊更な言挙げを嫌う『韜晦』があると思います」と述べる。

一方宇井氏はまず「「社会状況」なり「内面」なりのあえて言うまでものあいことを、やや図式的に言葉に出してしまうことが、俳句の表現として冗長ではないか、というのが今回の考察の御趣旨と理解します。」と述べたうえで、その反論として、岸本氏が例に挙げた「老の眼にゝとにじみたる蠅を打つ 虚子」と「戦争にたかる無数の蠅しづか 敏雄」の句に対して、「虚子の句も敏雄の句も蠅に何らかの意味を読みこんでいます。結局両者の違いは相対的なものでしかないのですが、その違いを厳密につきつめていうと、それは「不快さ」という意味と「利益を得る人々」という意味のなじみ深さの違いになります。どちらの意味が、われわれの日常性に照らしてよりしっくりくるかの違いです。つまり、われわれは日常、蠅を虚子の句のように見ていて、敏雄の句のように見ることはあまりないという習慣上の違いにすぎなくなります。」と述べ、さらに「俳句における「韜晦」という美学とは、そのようななじみ深さを肯定する美学である、と言ってはあるいは言いすぎでしょうか。」と述べる。

今回に関しては、岸本氏と宇井氏の意見はあまりかみ合っていないのではないかということを思った。ひとつには岸本氏は必ずしも客観写生以外の態度を批判しているわけではないし、宇井氏の述べる「なじみ深さの違い」という指摘は鋭くはあるものの、「俳句における「韜晦」という美学とは、そのようななじみ深さを肯定する美学である、と言ってはあるいは言いすぎでしょうか。」という指摘は飛躍があるように思われた。

僕は「戦争にたかる無数の蠅しづか」はメタファのぎりぎりのところに立っていながら、言葉が言葉そのものの意味で留まっているところに魅力があると考えていたので、メタファとして解釈してしまうと句の力が弱まると感じた。そもそも、岸本氏はどちらかというと作者論を述べ、宇井氏は読者論を述べているところにそもそもの擦れ違いの原因があるようにも思われる。

実は岸本氏と宇井氏は同じことを指摘していて、「なじみ深さの違い」でしかないものを「客観写生だ」と言うことで、比喩性の無いものだと「韜晦」するのが客観写生の態度であるというのが岸本氏の指摘ではないか。すなわち、客観写生は「なじみ深さ」を肯定するのではなく、その逆のことをしているのではないかと素朴に思った。

〔週刊俳句時評58〕あいまいで不都合な「自然」 松尾清隆

〔週刊俳句時評58〕
あいまいで不都合な「自然」

松尾清隆


連日、ニュースは大雪の被害を伝えている。152人が犠牲となった〈平成18年豪雪〉以来の規模であるという。2日現在、死者56人、負傷者は700人を超えた。

だからというわけでもないが、昨年2月から橋本直氏が「若竹」誌に連載している「俳句の自然―子規への遡行」という論考を読みなおしてみた。

まず、連載第一回の

日本人が惹かれる「自然」の正体とは、なんなのだろう。そもそもなぜこのような素朴な問いをいま立ているのかというと、昨今の環境問題を視野に、俳句に自然を詠む人=自然を愛する人=自然破壊をしない思想をもちうる人、というような図式を文章化したものを散見することがあって、この百年の文明文化の所行を省みない気分のお気楽さ加減にショックを受けたからである。何かが決定的に間違っている
という部分に心ひかれた。

つまり、「この百年の文明文化の所行」を確認する作業としての「子規への遡行」でもあるらしい。

第二回で明治15年開園の上野動物園に軽く触れたあと、第三回以降は明治22年に開通(新橋・神戸間)した東海道線について言及している。

第五回では
円筒形の建物の内部に、一続きの画が緻密に描かれており、立体模型や照明の効果も施されていて、中央の見物台から眺めると三六○度ぐるっと実際の風景を眺めているように見えるしかけになっていた。(中略)いわば最初から風景を風景として外部の一点から眺めるためにつくられたバーチャルリアリティ装置
と、近代的メディアであるパノラマ館(明治23年、上野と浅草に開業)を解説したうえで、「東海道線は、視野におさまる世界をパノラマ化し、その車窓から見える風景を乗客と切り離す装置」と、鉄道が担った「近代の認識装置」としての役割を指摘して「いわゆるリアリズムの土台になりうる文明」と位置づけている。

第六~九回では「自然」という語の多義性と定義の曖昧さ、子規の「写生」に対する今日の理解のされ方について検証し、
ありのままに写すことを写生だとする子規の言を単純な言葉への置換のように理解することには慎重であるべきだ。子規の写生はいわゆるリアリズム(写実主義)と同じではないように思われる
と結んでいる。

ここまで読んで、なんだか、連載開始時の「日本人が惹かれる「自然」の正体とはなんなのだろう」というシンプルな問いへの答えとはだいぶ離れてきているのではないかとも思われた。

第十、十一回では子規自身の病に対する意識の持ち方について考察がなされている。

このなかで示唆的だったのは
生物として病むということを、自然のものとし、さらにあるがままに受け入れられるかといえば、病んだ当人の自意識は一様ではあるまい。風邪を引いただけでも、意識の上では健康時とくらべて不自然だと感じるだろう
という箇所。

なるほど、病や死というものは人間が生物であり、自然の一部であるということを否応なしに突き付けてくる。一個体としての人間を「自然」の縮図として見ることで、なんとなく「自然」にまつわる問題の概略がつかめてきた気が。

人間とは、文明の進展によって自らを自然と切り離したようでありつつ、結局は自然の産物であることから逃れ得ない存在である。そんな自己矛盾をかかえた人間が生み出した概念であるゆえに「自然」は分かったようで分からないのだ。

たしかに子規は、「自然」ということを考えるとき、最高のサンプルであるかも知れない。

最新の第十二回が掲載されているであろう「若竹」2月号はまだ読んでいないのだが、今後の展開、着地がどのようになされるのか、大いに期待している。


リアリティーの獲得 『今、俳人は何を書こうとしているのか』を読んで 野口裕

リアリティーの獲得
『今、俳人は何を書こうとしているのか』を読んで

野口 裕


フェースブックを読書記録として使い始めている。ただ、ツィッターにしろ、フェースブックにしろ、書き込む際の画面処理がうまく利かないようで書きにくいことはなはだしい。書き疲れたので若干の補足をここに書き込む。


【フェースブックに書き込んだこと】

邑書林ブックレット『今、俳人は何を書こうとしているのか』(新撰21竟宴シンポジウム全発言)読了。ここ三年ほど続いている年末の恒例行事の第一回目の記録。たとえば、関悦史のこんな発言は記憶に値する。

「言いたいことがあるということと自然が出てくるというのは非常にちょっと相関関係がありまして、アニメの背景画を考えて貰うとわかるんですが、スタジオジブリのアニメ、『となりのトトロ』でも『千と千尋の神隠し』でもいいんですけど、あそこら辺の作品として自立して、ある人生観なりなんなりを訴えたい、ちゃんとみてくれというものを描くときは背景画像がかなりびっちり美術品みたいに描かれるわけです。それに対してこれはもう親子で気楽に楽しんでくださいというスタンスの『ドラえもん』とか『クレヨンしんちゃん』とかだと、背景が非常に記号的に簡略化されるわけです。」。
例として『もののけ姫』が出てこないあたり、その場の思いつきでしゃべっているうちに思わぬ鉱脈にぶつかった感があり、かえって臨場感を感じる。


【以下、補足】

上述の問題意識は、大塚英志のマンガ論に通じる。どの本だったか書名は忘れたが、初期のアニメーション、ミッキーマウスであったりポパイであったりが敵にやっつけられてぺちゃんこになっても(比喩でなく、画面上で実際に平たくなっている)、ポパイであればホウレンソウを食べるなどして、しばらく経つと元通りの立体的な身体を取り戻してしまうような描写が登場する。このような世界から出発したマンガの世界では、キャラクターは不死身である。不死身であるがゆえに死ぬことが出来ず、血を流すような場面でのリアリティーを獲得し得ない。これを克服することが、手塚治虫を始めとした戦後マンガの格闘するテーマであった。というような論旨であったと思う。この論旨は大塚英志だけでなく、「未来少年コナン」での主人公の不死身さにクレームをつける押井守の考え方にも共通すると言えるだろう。

これもうろ覚えで仁平勝の言ったことを図式化してしまうと、俳句の「季語+それ以外」において、季語は意匠としてはたらく。リアリティーの獲得は「それ以外」の部分が負う。この構造は、戦後マンガの格闘史とパラレルに俯瞰することができるはずだ。

説話文学を口承で受け取ったかつての受け手に対するのと、主に活字から情報を受け取る今日の読み手に対するのとでは、言葉としていかにリアリティーを獲得するかの方法は異なってくる。残酷なグリム童話とか、元の山椒大夫と森鴎外のリライトしたものとの差は、そんなところにもあるのだろう。

関悦史の発言は、豊里友行の句について語るうちに出ている。その後、金子兜太の句に話は及ぶが、秩父音頭のリライトに関わった金子伊昔紅を父に持つ兜太が俎上に出てくるのは、偶然ではないかも知れない。


10句作品テキスト おはよ 南十二国

おはよ 南十二国
 
太陽は闇をおしあげ厚氷
かいつぶり旭が全部かほを出す
枯山や田はあふむけにひろごれり
息白き「おはよ」と「おはよ」ならびけり
てのひらの喜んでゐる寒さかな
あをぞらはおほきなゑがほ雪達磨
雪山のまうへのあをくはろかかな

10句作品 南 十二国 おはよ

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週刊俳句 第250号2012-2-5

 南 十二国 おはよ
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10句作品テキスト 待ち伏せ 岡村知昭

待ち伏せ 岡村知昭

短日や産毛のごとく囁かれ
福耳を言われながらの横臥かな
大和煮のくじらひかるよ水呑むよ
待ち伏せや小春日和に靴脱いで
ほくろ除去手術見学冴え返る
潰さずにおく大寒のにきびかな
猫いらず隠さずにおく春隣

10句作品 齋藤朝比古 大階段

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齋藤朝比古 大階段
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10句作品 岡村知昭 待ち伏せ

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岡村知昭 待ち伏せ
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10句作品テキスト 春寒 津川絵里子

春寒 津川絵里子

寒梅のぱちり山下清展
やはらかく蹄のひらく冬の草
断面のやうな貌から梟鳴く
ころがりし薬莢の艶冬旱
しんがりのかたまつて来る春節祭
春寒し女のまなこ猫も持つ
摘み草に永き踏切ありにけり

10句作品 津川絵里子 春寒

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津川絵里子 春寒
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10句作品テキスト 大階段 齋藤朝比古

大階段 齋藤朝比古

藤棚のこんがらがつて枯れてをり
待春の大階段となりにけり
地に還るもののひとつにぼたん雪
子供から大人に渡る土筆かな 
下萌や鉄路極限まで錆びて
紅梅の命日ほどの華やかさ
佳き人と悪しきもの喰ふ朧かな

朝の爽波 3 小川春休


小川春休







3



もし、本稿で爽波に興味を持たれた方がいたら、とっても嬉しい。しかし、興味を持っても、お手頃価格で爽波の作品に触れられる本が存在しないという事実…。十数年前に購入した花神社の「花神コレクション〈俳句〉波多野爽波」は、抄出ながら爽波の作品がある程度まとめて読めるし何よりコンパクトで持ち歩きしやすくてお気に入りの本なのですが、もう書店には並んでないだろうなぁ。

ぱぱっと調べてみたところ、調査結果はこんな感じでした。

【 Amazon調べ 】
○ 花神コレクション〈俳句〉波多野爽波  \9,999~(中古品、2点のみ)
 ※ 発売当時の定価は1,500円。おんなじ花神コレクションでも、こんなプレミア価格(定価の6倍以上!)になってるのは爽波だけと言って良く、他の作家の大部分は定価と同等か、それより安く買える。それにしても、足元見るなぁ…。

【 サイト「日本の古本屋」調べ 】
○ 句集『鋪道の花』 \2,500
○ 句集『骰子』 \3,150
 ※ 花神コレクション、『湯呑』、『一筆』は該当なし。


さて、引き続き第一句集『鋪道の花』、今回は昭和18年から20年の句。思いっきり戦時中の句なんですね、一句ずつ鑑賞してるときは気にしてませんでしたが…。


鴨の陣はつきり雪の山ぼうと  『鋪道の花』(以下同)

鴨の陣とは、鴨が大群を成して泳ぐ様。細やかな描写ではないが、手際良く必要な言葉だけをぽんぽんと並べて描き出された、バリエーションに富んだ大景は、読む快感を与えてくれる。こういう文体、辻桃子経由で現在の「童子」にも受け継がれているような。


クローバの中にも水の溜まりをり

三枚葉や四枚葉のクローバー、その「中」とは、葉と葉の作り出すくぼみ。何の「水」とは明示されてないが、通り雨でも降ったのだろうか。地のクローバーの中に水を見つける視線の低さに、あたたかなものを感じる。素十を写生の極北とした爽波の写生句だ。


瀧茶屋の鏡に岩の映りをる

瀧茶屋の鏡に、外の大きな岩がどーんと映っている。瀧茶屋の戸や窓は大きく開かれており、鏡自体もかなりの大きさ。建築物の中にまで自然が入り込んできており、茶屋や鏡という人工のものとそれを取り巻く自然とが混ざり合った状態でそこに在り続けている。


欄干にいたく身反らせ涼みをり

涼む人の姿を描いているが、活き活きと、というのとはまた別の不思議な存在感がある。欄干に寄りかかってか、身を反らしているのだが、反らし方がどうも尋常でない。あり得ない角度に身体を曲げられた人形のようでもある。ほんの少し、不穏な感じの漂う句。


芒枯れ少しまじれる蘆も枯れ

芒が、枯れている。その景を一言で言ってのける「枯芒」という季語も、あるにはある。しかし掲句では、蘆の少し混じる芒原という景のバリエーションと、連用形で言い流す形による茫漠とした広がりとによって、「枯芒」という季語が豊かに肉付けされている。


窓掛の春暁を覆ひ得ず

窓掛けとはカーテンのこと。きっちり閉じていても、みなぎる朝の光はカーテンを透過してくる。「覆ひ得ず」という否定が力強く、若々しい表現。ちなみに〈カーテンも引くべきは引き春の宵〉はこれより後年の作。日々の生活の周辺をしっかりと句に詠み込んでいる。


草に寝て雲雀の空へ目をつむり

地に生え出でた草と、綺麗に晴れた空。青春詠と言っても良いかも知れない。目をつむっても雲雀の声が、その位置と、空の広さを知らせてくれる。句の中の主体は、背中に草の柔らかさを、耳に空の広がりを感じることで、その二つをつなげる働きをしている。

林田紀音夫全句集拾読201 野口裕


林田紀音夫
全句集拾読
201



野口 裕



地下鉄の夜のいろいろな顔見せる

昭和五十四年、未発表句。地下鉄の句は珍しい。「いろいろな」という措辞からうかがえるように熟考した末の作品とは思えない。たまたま、地下鉄に乗り合わせたときの感慨だろう。同じく現代的な素材ながら、陸橋は繰り返し句の中に登場する。句の素材としての、陸橋と地下鉄の違いは何なのだろうか。無意識なのか意識的なものなのか、素材としての地下鉄は却下され、発表句には登場しない。

 

足音の夙に失い梅に寄る

昭和五十四年、未発表句。梅に魅入られつい長く立ち止まってしまったぐらいの句意。有季定型の得意な作家が良くやる手法で、相当の作と思うが、紀音夫は急がない。

昭和五十五年花曜に、「梅ひらく夜気濛々とたちのぼり」がある。昭和五十四年から五十五年にかけての発表句、未発表句に梅の句が見当たらないので、上掲句から花曜発表句まで待ったと見るべきだろう。つい立ち止まり、魅入られてしまったものの正体を見極めたかったか。

 

雪片の消えゆくばかり身に土に

昭和五十四年、未発表句。降っては消えて行く淡雪。身も土も濡れてゆくが、雨のようにあわてて逃げ出したりはしない。溶けてゆくのを確かめようとするかのように句調はゆったりとしている。身のうちに溶けずに残る記憶との比較をも考えているかもしれない。

金原まさ子 十七枚の一筆箋

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週刊俳句 第250号2012-2-5
 金原まさ子 十七枚の一筆箋
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金原まさ子 十七枚の一筆箋テキスト

 十七枚の一筆箋  金子 彩

鶴に化りたい化りたいこのしらしら暁の
なぜ紫の鬘なのか幸彦忌
覗かせてもらえなくても納屋は罌粟
山羊の匂いの白い毛糸のような性
片腕の駆者をあらそい日と月よ
いなびかり乞食(かたい)とねむる妃にて
膝抱いて胎児出没銀河系
満月のカリンに向きて五分と五分
禁書購いたるカマキリを軟禁す
精靈の家からきのこたちわあわあと
筥いっぱいの櫛焼く父よ秋ま昼
心電図直線木犀の香がそこらじゅう
臈たけていたり次の間の草雲雀
ちちと流れははと淀みて紅葉鮒
猿のように抱かれ干しいちじくを欲る
冬が来るとイヌキが云えり枕元
あれは鶏頭の跫音時間切れ告げに


「らん no.56」より転載