2007-08-26

週刊俳句 第 18 号 2007年8月26日

第 18 号
2007年8月26日

CONTENTS


津田このみ 「空 蝉」10  →読む  

谷口智行 「おんどれ」10句  →読む


俳句甲子園をお伝えします(上) ……佐藤文香  →読む

〔俳句ツーリズム 第8回〕
 横浜篇 ホテルの愉悦 ……小野裕三  →読む

猫 日 ……中嶋憲武  →読む

モノの味方 〔9〕 鍵    ……五十嵐秀彦  →読む
連動企画 俳句図鑑 〔9〕 かぎ     →読む

第16号・柳×俳 7×7 「二秒後の空と犬」「裸で寝る」を読む(下)
                  遠藤 治・さいばら天気  →読む

【俳句総合誌を読む】
『俳句』2007年9月号を読む ……さいばら天気  →読む

後記+出演者プロフィール  →読む





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津田このみ 空蝉


津田このみ 
空 蝉



こ の 星 に 腰 か け て 大 花 火 か な

遠 花 火 男 は 同 じ こ と を 言 う

レ モ ン シ ャ ー ベ ッ ト 嘘 つ き の 舌 冷 や す

一 通 り 聞 い て 背 中 を つ た う 汗

空 蝉 を た め つ す が め つ の ち つ ぶ す

八 月 の 地 球 に 少 し 指 の 跡

猫 じ ゃ ら し 傷 に く っ つ く 力 あ り

二 百 十 日 闇 に 手 足 を 伸 ば し た る

嘘 で し か 言 え ぬ こ と あ り 秋 桜

空 蝉 や わ た し は 跡 を 残 さ な い





谷口智行 おんどれ


谷口智行 
おんどれ



花 火 な き 方 角 の 星 見 て ゐ た り

螻 蛄 鳴 け り ち か く 政 変 あ る ご と く

ド ビ ュ ッ シ ー 聴 い て ゐ ま し ぬ 生 身 魂

お ん ど れ も を ど れ と お ら ぶ を ど り つ つ

縊 る 輪 を か な か な の こ ゑ く ぐ り け り

色 盲 検 査 表 の 中 な る 秋 山 家

川 の 幅 川 の 長 さ に 霧 ら ひ け り

滝 壺 が 魘
(うな) さ れ て ゐ る 秋 の 暮

新 米 に 隕 石 の 粒 混 じ り あ り

の そ り 来 て し や き し や き 帰 る 墓 ま ゐ り





俳句甲子園をお伝えします(上) ……佐藤文香

俳句甲子園をお伝えします(上) ……佐藤文香




今年で第十回をむかえた俳句甲子園。

生みの親である夏井いつき氏が、歌合せから着想を得たこの大会、どんなものかを簡単に説明すると、まず5人1チームの2チームが赤白に分かれて1句ずつ出し合います。相手の句に対する質疑と応答を3分間ずつ(決勝トーナメントは4分間)したところで、審査員が赤か白かの旗をあげて勝敗を決めます。それを3試合行い、2勝したチームが勝ち(決勝リーグは5本中3本先取)という、高校生の俳句の勝負です。

全国より予選を勝ち上がってきた 36校が、松山に集結しました。

今年は審査員も超豪華で、黒田杏子さん、高野ムツオさん、正木ゆう子さんをはじめ、準決勝・決勝は13名の審査員によって判定されました。圧巻。→【写真1】

            *

8月18日

予選Eブロック第一試合 兼題「青葉」先鋒戦

 (赤) 松山東高校A v.s. 甲南高校 (白)

実は松山東高は母校でして、俳句部には何度か足を運び、練習に口をはさんだり、一緒に吟行句会をしたりました。共学校らしく女2人・男3人のチーム。

一方甲南高校は全員男子、その中に週刊俳句賞次席の越智友亮が。また、松山にはいらっしゃっていませんでしたが船団の塩見恵介先生が指導なさっています。

これは私にとっては見なければならない試合。特設会場が11箇所に設置されて俳句甲子園一色の大街道を、歩いてEブロックの会場へ。

松山東A 固まらぬゼリーの中を青葉風
 v.s.
甲 南  足癖を直して青葉時雨かな

(松山東Aの句に対して)

甲南「固まらぬゼリーも青葉風もやわらかくって抽象的なものなので、もっと具体的なものを持ってきたほうがよかったんじゃないでしょうか」

松東「青葉風という季語からは、青葉の色や匂いが感じられるので、具体的に見えてくると思います」→【写真2】
甲南「ゼリーの中を風が通るのであれば、別に青葉風ではなくてもいいと思うんですよ。ゼリーって言ったら夏らしい食べ物なので、ここはもっと夏を感じさせる『南風』にしたほうがいいと思うんですがどうですか」

松東「この句では爽やかさを詠みたかったので、南風のような熱気を帯びた風ではなく、青葉風がいいと思います」

甲南「固まらぬゼリーの中を青葉風だと、なんか散文的で一本調子になってしまうので、切れ字を使って一度切った方がいいのではないでしょうか」

松東「この句は作者の感性で成り立っているので、このままでいいと思います」

甲南「この句のよさはわかったんですが、ゼリーの中の『の中』はいらないのではないでしょうか」Time up!!

(続いて甲南の句に対して)

松東「足癖を直して青葉時雨かなということですが、足癖を直した後に持ってくるのは、別に青葉時雨じゃなくてもよかったんじゃないですか」

甲南「例えば『口癖』などではなく、『足癖』ということで足が見えてきて具体性があると思うんです。そこに青葉時雨が降る、雨は静けさの象徴ですよね、その音を聞くという心の余裕があって、ここは青葉時雨でいいと思います」→【写真3】

松東「今、雨は静けさの象徴とおっしゃいましたが、青葉の生い茂っているところに降る雨だと思うので、静けさという感じではないのではないでしょうか」

甲南「青葉時雨は、雨上がりに葉っぱから一滴ずつ落ちる雫のことなんです。ですから静けさが感じられると思います」

松東「今の説明ですごくよくわかりました。ですが、それでしたら青葉時雨『かな』とせずに、青葉時雨、と名詞で終わった方が、青葉時雨がより際立つと思うんですがどうでしょうか」

甲南「ここでは『かな』が余韻を生んでいる、『かな』という切れ字の効果が生きた句だと思います。」Time up!

「判定!」(審査員3人が旗をあげる)……「赤2本・白1本で赤、松山東高の勝利です!」

アナウンサー「審査員の先生方の配点内訳をご紹介します。坊城俊樹先生…創作点赤7点、白6点、白に鑑賞点が1点入りまして7対7の同点ですが、創作点の高い赤に旗を上げていらっしゃいます。岡本阿蘇先生…創作点赤8点、白7点、鑑賞点が赤に1点入りまして9対7で赤。橋本薫先生…創作点は赤白ともに7点、鑑賞点が白に1点入りまして、7対8で白に軍配が上がっています。まずは坊城先生、一言寸評をお願いします」

坊城先生「まぁ、第一試合ですので、ちょっと緊張もしてると思いますが。審査はね、作品が第一です。ディベートによって作品の評価が変わることはありません。だから作品が大事。だけど、ディベートによって作品のよさは変わらないんだけど、ディベートで審査員が作品のよさに気づかされるときがある。だからディベートも大事です。作品も大事、ディベートも大事。ここは激戦区ですから、しっかりがんばってください」

   *

どうです、とても紳士的でしょう。各審査員(予選は3人)はそれぞれの句に創作点(10点満点)と、鑑賞点(どちらかのチームに1~5点)を与え、総合点の高いチームの旗を上げるという形です。これが先鋒戦で、この後、中堅戦・大将戦とあって、2本以上取ったほうが勝ち。

ちなみにこの試合は、中堅戦:「青葉光規則正しく揺れる髪」v.s.「木陰に碑青葉をまたぐロープウェイ」が0-3、大将戦:「手のひらで測る青葉の匂ひかな」v.s.「床屋での会話が好きな青葉風」が1-2。甲南が2本取ったので2-1で甲南の勝ちでした。

予選ブロックは3校の総当たり戦。これでブロック1位になると、準々々決勝に進めます。

負けたチームは、すぐ敗者復活戦の句を作り始める。敗者復活戦・準決勝からが翌日8月19日です。敗者復活戦にも予選と決勝があって、予選はチームで写真1枚と俳句1句のコラボ、決勝は俳句1句に対して審査員から1分間の質疑応答。それを勝ち抜いた高校が、準決勝から再び参戦するのです。

(次号に続く)


松山市を代表する商店街、大街道の巨大アーケードの下で、11の予選が同時進行

俳句甲子園をお伝えします(上)【写真1】












【写真1】審査員 前列:黒田杏子、中原道夫、坊城俊樹、夏井いつき、中村和弘、寺井谷子 後列:小島健、高野ムツオ、正木ゆう子、星野高士、石田郷子、高柳克弘、大高翔各氏

俳句甲子園をお伝えします(上)【写真2】【写真3】


【写真2】












【写真3】

ホテルの愉悦 小野裕三

俳句ツーリズム 第8回
横浜篇
ホテルの愉悦
 ……小野裕三


ある週末の朝。自宅でごろごろしていると、妻が突然「どこかに行きたいな」と言い出した。妻は現在妊娠中であるため、あまり遠出はできない。そんなわけで、今年は夏休みに一緒に出かける旅行の予定もなかった。だが、さすがにずっと家にいると退屈してきたらしい。その言葉を聞き逃すことなく、僕は「じゃあ、どこか出かける?」と応酬する。

「でも、近場ね」
「近場ってどこよ? 伊豆とか?」
「ううん、横浜とか」

ということで、僕が携帯電話のネットで「横浜」×「本日泊まれる」×「よさそうな」ホテルを探す役割となった。候補はいくつもあったのだけれど、JRの駅前にあって外見もそんなに悪くないホテルがある。おまけに、「スパ&リゾート」とも書いてある。夏休みにはうってつけかも知れない。

そんなわけで、一時間後には夫婦ふたりで自宅を出てJRに乗った。乗車時間は実はせいぜい十五分程度。日が照りつける中を、駅前から歩き出す(写真1)。こっち方面だけどなあ、と言いつつ歩く。炎天の中に、ホテルを発見。これだよ、これ、と指をさす。さほど豪華でもないが、こぎれいな感じのホテルが歩道橋の向こうに建っていた。

妻とは昔から、東京近郊のホテルを泊まり歩くのを趣味のひとつにしている。趣味というか気分転換というか。いちばん最近に泊まったのは(と言っても一年くらい前だったか)、横浜のランドマークタワーの中にある横浜ロイヤルパークホテル。ランドマークタワーに泊まりたいという妻の言葉に唆されて泊まったのだが、当然ながらけっこう高くついた。

以前、新宿のパークハイアットで食事がしたいと言われたときには、パークハイアットは食事だけにして宿泊はすぐ近くのワシントンホテルというリーゾナブルなコースにした。ワシントンホテルはお台場にもあって、そこにも泊まったことがある。窓から東京ビッグサイトが見下ろせて不思議な感じだった。

東京都内のホテルで気に入ったのは、上野にあるソフィテル東京で、へんてこな外観ながらこぢんまりと上質なホテルで楽しめた。ところが、このソフィテルも現在は解体作業中ということでいささか残念。

ところで今回のホテル、特に高級なホテルでもないのだが、ホテルの内側が最上階まで吹き抜けになっていて、確かにどこかリゾートホテル気分だ。我々の気分も少しばかり高揚する。部屋も普通のしつらえの内装ではあるが、居心地は悪くない。さっそく妻は部屋着に着替えると、だいぶ大きくなってきたお腹をごろんとベッドに横たえる。あとは別にやることがあるわけでもなく、ただそれぞれに寝転んで読書を始める。

僕が持ちこんだ本は、吉本ばななの『マリカの永い夜/バリ夢日記』。最近吉本ばななに凝っているというのもあるが、リゾートっぽい気分をなるべく演出するためにはバリ島の旅日記は最適ではないかと思った次第。妻は妻で最近は丸谷才一や夢枕獏など読んでいるが、なんだか脈絡がない。

かくして、横浜市内のホテルの空調の効いた部屋で、バリ島旅日記の読書がスタート。この旅日記はいささか不思議な旅日記で、と言うのもタイトルが「夢日記」となっていることからもわかるように、作者がバリで夢を見るのだが、それがなんと不思議に現実とリンクしているのだ。正夢というのとも違うのだが、バリ島が持つ世界観(例えば、有名なバロンとランダに見られる、善と悪の永遠の戦い)が夢となって現れる。ふうん、と思いつつ、あの島ならそういうこともあるかも知れないと考える。

バリ島には僕も学生の頃、行ったことがある。地球上で好きな場所を三つ挙げよと言われたら、きっと僕はバリ島をそのうちのひとつに入れるに違いない。あの森の深さ、絵画や彫刻に溢れた美しい建物、独特の音楽や踊り、やさしい人々、そして庶民向けの汚い飯屋――すべてが混然となってどこかうっとりとした気持ちにさせる。

バリ島は、行く前からいろんな話を聞いていた。独自の風習として壮麗な葬式が行われる島、そして黒魔術といった儀式が今も生きている島。それにしても、文中で吉本ばなな一行が泊まっているホテルは(もちろん取材旅行だからということもあるのだろうが)、超豪華なリゾートホテルのようでどうにもうらやましい。

夕方近くになって、地階にあるという大浴場に行ってみるが、「え? これが大?…浴場?」というくらい、こぢんまりとした浴場。おまけに同じフロアにカプセルホテルも併設されていて、バリ島の高級スパ&リゾートホテルに足元も及ばないのは仕方あるまい。それでも、そのホテルには浴場の隣にプールが設置されていた。ちゃんと、リゾートというコンセプトは守られてはいるのだ。

「お風呂、どうだった?」
「ん? 普通」

部屋に戻ったあと、そんな簡単な会話でお風呂の話題は尽きる。そして、夕食。最上階にあるフレンチ・レストランというところに行く。値段の割になかなか美味。窓からは横浜の夜景が見える。妻との会話は、吉本ばななの話から干刈あがたの話、なぜかそのうち「今はいずこ」の感のある椎名桜子にまで話が及ぶ(ちなみに、ネットで調べてみると彼女には「水中写真家」という肩書きが増えていた。一体、いつの間に?)。

食事後は、近所のコンビニに買い出しに出かける。アイスクリームや缶入りのウィスキー、ポテトチップスなどを買い込む。こういう何気ない買い物が実に楽しいのだ。かくして、横浜の夜は更けていく(写真2)。

                 ★

翌日、やや寝坊をした我々はいそいそと朝食へ。僕はこの、ホテルでのバイキング形式の朝食というのが好きだ(写真3)。銀色のお盆にソーセージやらスクランブルエッグやら、少し離れて黒いお盆にきれいに切られたかまぼこやら干魚やら、そんなものが並んでいるのを見るだけでにこにこしてしまう。冷えたトマトジュースとオレンジジュースと牛乳がガラス瓶に満たされて綺麗に並んでいるのを見ただけで嬉しくなる。

なかなかいいホテルだったね、と言い合いながら、再び部屋でごろごろしたのちチェックアウト。近くに古本屋があったので、しばらくそこを覗く。自宅までは、また十五分ほど電車に乗るだけだ。

そんなわけで短く手軽な旅行ではあったが、不思議と楽しめた。旅行の楽しさの多くの部分が、実は宿の楽しさや食事の楽しさにあると思う。しかも、ホテルに泊まって眺める街は、いつもとはどこか違った街に見える。だから、街中のホテルでも選択さえ誤らなければ、充分に旅行気分を楽しめる。

  うらゝかな朝の焼麺麭(トースト)はづかしく  日野草城

ホテルと俳句と言えば、俳句史上に有名な日野草城の「ミヤコホテル」連作がある。上記の句はそこから引いたが、ホテルなどといった都市文化的なものに対する感性は日野草城もそうだが、例えば西東三鬼なども含め(三鬼の場合は「空港」連作などがすぐに思い浮かぶ)、昭和初期の俳句のほうが感度のよかったような印象がある。たぶん、まだホテルという存在自体が新鮮だったのだろう。今となっては、ホテルなんてビジネスホテルやカプセルホテルも含めごまんとあるし、いささか感覚が慣れっこになっているのは仕方あるまい。

吟行俳句は当然ながら世の中にいっぱいあっても、ホテル自体を詠んだ句は意外に多くないように思う(旅館であれば「月光旅館」〔編註*〕などがすぐに思い浮かぶが)。きっと多くの俳人が、ホテルを俳句に詠むことを無意識に避けているのか、あるいは適切でないと思っているのか、あるいは単に失念しているのか。けれど、旅の楽しさの多くは、実は宿自体にあるのだ。東京のホテルでもいい、バリ島などのリゾート地のホテルでもいい、もっと上質なホテル俳句があってもしかるべき。「俳句ツーリズム」を掲げる本エッセイとしては、大切なテーマにしていきたい。



〔編註*〕高柳重信「月光旅館あけてもあけてもドアがある」。



写真撮影:小野裕三

猫日 中嶋憲武

猫 日 ……中嶋憲武



今日は猫日なので、わが町内の辻辻には、猫が寝そべっていたり、正座していたりする。

普段、昼間は猫の姿が見えないのであるが、今日は特別で、昼間から猫の姿を、あそこにもここにも見かけることができる。

朝、いつも僕が贔屓にしている雑巾猫さんに逢うことが出来た。にゃにゃ言っている。駅へ向かう道の辻を曲ったところに、ブロック塀があって、その上が最近のお気に入りらしく、長々と寝そべっていた。白猫や虎も徘徊している。

午前中、コインランドリーに行き、衣類が乾く間、部屋へ戻って、書見をする。

昼飯はスパゲッティミートソース、オニオンスープ、トマト1個。最近こればかりである。

午後も書見をしていて、遅くなってから、プールへ行く。分からない位泳ぐ。

夜、池袋のジュンク堂へ本を漁りに行こうと思い立ち、駅へ向かうと昼間の猫がまだ坐っていて、にゃあにゃあと言っている。この猫はここいらあたりじゃ新顔の猫で、だいぶ痩せ細っている。顔立ちは目が大きくて可愛い顔をしている。雑巾猫さんではなく、三毛である。この辺は、賃貸物件が多く、引越のたびにこうした、捨て猫が必ず出るのであるが、この三毛もばかに人懐っこく、かなり年齢は行っていると見られるが、仕草や表情が幼い。舌を出しっ放しにしているのを見ても、かなりの甘えん坊と思う。

ちょっとかまってから、池袋へ急ぐ。

ジュンク堂でいろいろ漁って、部屋へ帰ってから、夕食にしようと思っていたのだが、泳いだのと、本を漁っている時間が長かったのとで、大分腹が減ってしまって、すぐにでも飯が食いたい勢いだったので、峠谷清広氏御用達の「おはち」へ入る。

麻婆豆腐定食を頼んで、買ってきた本を2ページも読まないうちに、出て来たので、早いよ!という表情を、持ってきたお運びさんのお兄さんに向ける。

飯を食いながら、そういえば、今夜は上野の精養軒のビヤガードゥンで集りがあったのだと思い出す。いまごろ、寺内タケシとブルージーンズや、ジャッキー吉川とブルーコメッツの生バンド演奏とか楽しみながら、園内のBGMの黛ジュンの「天使の誘惑」とか「恋のハレルヤ」とか楽しみながら、ビヤガードゥン気分満喫しているのだろうなと思うと、無性に行きたい気分になってくるのであるが、夜も遅いし、また来年にでもと思い直す俺であった。

地元の駅に着いて、部屋への道をひたすら歩いていると、最前の三毛猫さんが、夜目にもそれとわかる礼儀正しさで正座していて、遠くのほうから、俺を見て、にゃにゃにゃと言っている。三毛猫さんの側には、雑巾猫さんが長々と寝そべっていて、腹を撫でると、仰向きになって、ごろごろ言う。三毛猫さんも負けじとすり寄ってくる。さすが、猫日だけあって、モテまくりである。

これから、また、ちょっと見て来てみようと思う。

モノの味方 〔9〕鍵  五十嵐秀彦

モノの味方 〔9  ……五十嵐秀彦

初出:『藍生』2007年6月号


じゃらじゃらと鍵束である。

家の鍵、職場の鍵、物置の鍵、この小さいのは自転車の鍵だ。そして素性不明の鍵がある。私の鍵束にはいつもどこの鍵なのかわからぬものが、ひとつふたつぶら下がっている。整理をしても数年たてばまた同じように不明の鍵があらわれる。おそらく重要と思ったからこの束に加えられたはずなのに。

都合の悪いことは強引にでも忘れてしまう私の性格からおしはかると、その素性が気になってくる。これらの鍵の存在は不安の象徴にも見え、鋸のような形状は見失われた暗号であるのかもしれぬ。

どこの鍵なのか忘れられてしまったとき、鍵は意味を喪ってしまう。意味を喪ってしまっては、いずれどこかに消えてしまう運命だ。もしその鍵で閉じられた扉が再び私の前にあらわれても、そうなってしまっては、もう開けることができない。喪われた記憶さながらに。

無理にこじ開けたとしても中には、忘れてしまいたかった不安が、身体を丸めてうずくまっているのかもしれぬ。


俳句図鑑 〔9〕 かぎ

連動企画 俳句図鑑 〔9〕 かぎ










銀色の鳩舎の鍵の曇りかな   林 桂

鍵握る孤りの冬となりにけり   石原八束

胡麻咲いて人にけものに鍵ある世   大木あまり

胡桃割るこきんと故郷鍵あいて   林 翔

鍵かけてしばし狂ひぬ春の山   摂津幸彦

鍵束を河口に鳴らし雪待つか   加倉井秋を

鍵ろひ三度笠る中二階屋のエポケー   加藤郁乎

花の闇ひらくに銀の鍵使ふ   鳥居真里子

鍵束のなかの一つが囀れり   佐々木六戈


compiled by saibara tenki

第16号・柳×俳 7×7 「二秒後の空と犬」「裸で寝る」を読む(下)

第16号・柳×俳 7×7 「二秒後の空と犬」「裸で寝る」を読む(下)
遠藤 治・さいばら天気

なかはられいこ「二秒後の空と犬」7句 大石雄鬼「裸で寝る7句   →読む
第16号・柳×俳 7×7 「二秒後の空と犬」「裸で寝る」を読む(上) →読む



四童
=遠藤 治 天気=さいばら天気
※以下の対話は2007年8月17日深夜、チャット機能を利用。ログ(書き込み記録)を微調整して記事にまとめました。

天気::前回は、なかはられいこさんの7句について話しました。大石雄鬼さんの7句「裸で寝る」は、いかがでしたか?

四童::
私が形式主義者なのか、俳句を読むチェックリストのようなものがあるのか、「切れ」の存在にそうとうどぎまぎします。
例えば、5句目の「銀 色 の 如 雨 露 が 自 閉 草 茂 る」、6句目の「大 花 火 痩 せ た 財 布 の よ う に い る」を見たとき、この2句で、いちばん面白いのはどこかと考えると、「如 雨 露 が 自 閉 」だったり「痩 せ た 財 布 の よ う に い る」という措辞なわけです。ところが、そこに切れがあると、季語の「草 茂 る」や「大 花 火」は効いているでしょうか、という句会の議論みたいになり、せっかくの面白い措辞の、その肌触りのようなものが見えにくくなってしまうのです。切れを持たない2句目、3句目、4句目は、そういう窮屈さから自由です。特に4句目の「愛 の 巣 の パ イ ナ ッ プ ル が 立 っ て お り」は、そうとう可笑しいです。

天気::
はい、「愛 の 巣 の パ イ ナ ッ プ ル が 立 っ て お り」はいいですねえ。5句目、6句目は、季語との切れで、おもしろくなっているかというと、なるほど、12音のおもしろさがとりたてて増幅されているいわけではない、という気もします。特に5句目の「草茂る」は、如雨露の舞台設定を説明するようで、かえって不思議じゃなくなっている。
でも、6句目の「大 花 火 痩 せ た 財 布 の よ う に い る」の、この情けなさは、ちょっとイイです。「夏痩せ」の雄鬼さん、の異名をもつくらいの夏痩せ専門家である雄鬼さん、そしてまた、「ように」「ような」を多用する雄鬼さん、という予備知識をもって読むと(それは「いけない」読み方ではありますが)、この句は「雄鬼印」がはっきりと刻印された句です。
話題が別のところに行きました。「切れ」に戻しましょう。つまり、切れが、句のゆたかさ、おもしろさへと結びついていない。これは今回の個別の事情ではなく、俳句一般に敷衍できることなのではないか、ということでしょうか?

四童::
前回の話題、「意味の宙づり」の話に関わってくると思うんです。「宙づり派」というものがあるとすれば、それは俳句形式に対しても冒険者であったほうが一般には面白いことになるのかも知れません。

天気::
雄鬼さんの7句には、冒険的な句とそうでない句があるように思います。「愛 の 巣 の パ イ ナ ッ プ ル が 立 っ て お り」は前者の最右翼。最初の2句、「川 べ り の 川 の 見 え ざ り 行 々 子」「エ ン ジ ン の 音 に 口 あ け 燕 の 子」などは、雄鬼さんにはめずらしく伝統的な脈絡にあると思いました。

四童::
1句目の「「川べりの~」は、発句の作り方ですよね。

天気::
そうです。川柳への挨拶のようにも読みました。「俳句ってのは、こんな感じなんですけど?」といった。

四童::
はい。「川柳への挨拶」という読み方は共感します。

天気::
発句と読めば、7句目「ペ ル セ ウ ス 座 流 星 群 や 裸 で 寝 る」は、挙句ではないけれど、大団円(終幕)っぽくて、1句として読むより、今回の連作の最後の句として読むほうが面白い。

四童::
3句目「蝸 牛 の 肉 の 透 け い る 愛 が あ る」はちょっと俳句世界の季語の重力そのままで、「かたつむりつるめば肉に食ひ入るや 永田耕衣」「殻のうちししむら動く蝸牛 山口誓子」などと同じ文化圏にいるようです。それを俳句の強みと受け止めることも、可能といえば可能です。
ところで、「愛」というテーマが連作にどのような影を落としているのかが興味深いです。4句目の「愛の巣に~」を頂点として、5句目「銀色の~」以降はどんどん孤独な方向に向かい、7句目「ペルセウス~」など、裸で寝ているにもかかわらず、まったくエロチシズムが感じられない独特の世界を構築していると思います。

天気::
おふたりとも、「愛」というテーマには慎重で、ベタ付けは避けたようです。

四童::
もしテーマが「愛」だとひとことも触れなければ、一般論として同じ句群でもちがう読み方で語られると思うのです。「愛」だと触れられた瞬間に、5句目の「如雨露」にリビドーの抑鬱を感じたり、6句目「大花火~」、7句目「ペルセウス~」に男性的な性愛のむなしさを感じたりしてしまう…。もちろん、それらはそれぞれのことばが内在的に持つ意味のはたらきだけど、テーマを明示するのと、暗示として読者にゆだねるのと、どっちが面白いのかなあ、などとちょっと思いました。例えば、おふたりに同じテーマで詠んでもらいつつ、そのテーマは伏せるという発表の仕方もありなのかも知れません。

天気::
それは、じつにそうかもしれませんね。楽屋裏は見せずに、読んでもらう。なるほど。今後の大きな参考にしましょう。今回のように、ダイレクトに迫れないようなテーマの場合は特に、そのほうが〈読む愉しみ〉が大きくなりそうです。
ところで、「愛 の 巣 の パ イ ナ ッ プ ル が 立 っ て お り」は、ナニがいいんでしょうね? 魅力を語りましょうか。

四童::
まず「愛の巣」というどうしようもなくチープな言葉を句に取り込んだことでしょう。それから「愛の巣」の次の「の」。これが大きく意味を混乱させています。愛の巣の中にパイナップルがあるのか、パイナップルが愛の巣そのものなのか、という混乱はそうとう刺激的です。その混乱をパイナップルの物質感が、いやが上にも増幅します。で「立っており」なわけです。これはシンボルであり、愛の国の国歌です。

天気::
褒め尽くされましたね。私が付け加えることは、パイナップルが「昭和的に情けない」、そこがいい、アイロニカルな風味がある、ということくらいでしょうか。他に、雄鬼さんの7句に関して、何かありますか?

四童::
「る」で終わる句が4句ありますねえ。いや、雄鬼さんの場合、ときどき頭の一音とか終りの一音とかを拾うと、意味のある単語がせりあがってくることがあり油断も隙もないのですが、今回はまだ気がつきません。

天気::
末尾の文字を拾うと、子子るりるるる。
ところで、柳×俳、これで3回を数えたのですが、川柳と俳句の境界や差異といったものが、個人的には、ほとんどもう、どうでもよくなくなっています(もともと頓着はしなかったのですが、ますます)。私は俳句愛好者です。川柳の人たちからすれば、「川柳を知らないから、境界や差異がわからないのだ」と言われてしまいそうですが、どちらも、それぞれのレジェンドを活かしつつ、そこから自由な「ひとりの作り手」をめざした場合、それは川柳だろうが俳句だろうが、どっちでもいい、という感じになっていくような気がしています。

四童::
同感です。(仮にそういうものがあるとして)ストロング・スタイルの俳人を目指しているわけではない私にとって、今回のような機会に触れる川柳の世界は、地続きにしてゆたかで楽しい世界に感じられます。「ひとりの作り手」として、この地続きな感じを大切にしたいと思います。

天気::
うまくまとめますねw ストロング・スタイルの俳人。これはこれで興味深い設定です。多くの俳句愛好者(俳人)は、昭和の大俳人(老いていった、亡くなっていった)の幾人かに、ストロング・スタイルの俳人像を見ているのかもしれません。いまもなおストロング・スタイルをめざすという選択はあるわけですが、それだと、どこかいつかの俳句をなぞっているだけの退屈さが生じるような気もします。
言うなれば、むかしの教科書を見つめつづける姿勢から、すこしは顔を上げて、あるいは教室から外に出たて、新鮮な空気を吸ったほうが健康的だと思うことがあります。
遠藤さんがおっしゃる「地続き」の地平は、その意味で、きわめて爽快な場所かもしれません。そんなところでしょうか?

四童::
はい。ありがとうございました。

天気::
2回にわたり、お疲れ様でした。


( 了 )

『俳句』2007年9月号を読む さいばら天気

『俳句』2007年9月号を読む ……さいばら天気




●大特集 必修!秋の基本季語74 これだけは身につけて秋を詠む p61-

実用ノウハウの特集記事に、関心事を見つけるのは難しい。そんななか、特集とは別の連載に「秋の季語」に関する興味深い記述があった。それが次の記事。

●片山由美子 今日出合う季語・9月 p102-

ところで「星月夜」という季語があります。どんな歳時記にも、星明りで月夜のように明るいことと書かれています。昔からそういうことになっているのですが、最近これに疑問を感じるようになりました。果たして、星はそんなに明るいものでしょうか。

まえまえから私もそう思っていた。星明りをそんなふうに感じるなんて、あまりにも詩的、言い換えればファンタジー。

記事では、このあと「いくつかの体験」が挙げられ、「月夜のように明るいなどとは絶対にいえない」と。

では、「星月夜」とはいったい何なのか。物語のなかにしか存在しない美しいの情景なのか。

(…)一つの発見をしました。鈴木充広著『暮らしに生かす旧暦ノート』という本(…)「星月夜」は、新月の時期で、月のない夜空の呼び名のことであると書かれていました。これは大きなヒントです。

なるほど、です。「星月夜」の句はふだんからたくさん目にしますが、これからはちょっと趣を変えて読むことになりそうです。


●小川軽舟 くびきから放たれた俳人たち 第9回 田中裕明

田中は若手における伝統俳句の雄と目されたが、伝統俳句の枠に単純に収まる作家ではない。むしろ伝統とは何かを問い質す存在だったと言ってよい。

田中裕明にとっての伝統が「写生によって否定された伝統」であり、「それは主観の復権」であるとするこの論考の把握、視座は、現在よく言われるところの「伝統」の脈絡からすると、新鮮。

さらに続いて…。

取り合わせは日本の詩歌の古典的な手法だが、虚子はこれをほとんど顧みなかった。取り合わせの活用もまた、田中にとっては伝統の回復だったろう。

示唆深い。虚子-爽波-田中裕明という「伝統的」系譜に新しい把握をもたらし、きわめて示唆に富む。さらには田中裕明の「主観」の行方を、最後の句集『夜の客人』まで追い、作家論として端正なまとまりも見せる論考。熟読の価値、大いにあり、です。



後記+プロフィール 018

後記
さいきん、原稿が、ときどき0時に間に合わない『週刊俳句』です。

読者のみなさま、ご寄稿のみなさまの御寛容に甘えて、なんとかつじつまを合わせている状態ですが、「〆切は、ゴムのように伸び、ゴムのように、とつぜん、切れる」とは、マンガの世界で、よく言われる戯れ言。

どうか、みなさま、お見捨てなきよう、伏してお願い。
(今週は、私が悪い。天気さんすいません)

でも上がってしまえば、今週も、俳句よし、記事よし、です。

多謝&平伏。

では、また、日曜日にお会いしましょう。

(上田信治 記)


no.018/2007-8-26 profile
■津田このみ つだ・このみ1968年大阪生まれ。長野県松本市在住。「船団」「里」会員。句集「月ひとしずく」。

■谷口智行 たにぐち・ともゆき1958年 京都生まれ。三重県在住。「運河」「湖心」「里」所属。俳人協会会員。句集「藁嬶」(2004年)、「媚薬」(2007年)。

■佐藤文香 さとう・あやか1985年生まれ。「ハイクマシーン」「里」所属。高校1、2年で俳句甲子園に出場。第四回団体優勝、第五回団体準優勝・個人最優秀賞を果たす。第二回芝不器男俳句新人賞対馬康子審査員奨励賞受賞。http://www.geocities.jp/aya6063/

小野裕三 おの・ゆうぞう
1968年、大分県生まれ。神奈川県在住。「海程」所属、「豆の木」同人。第22回(2002年度)現代俳句協会評論賞、現代俳句協会新人賞佳作、新潮新人賞(評論部門)最終候補など。句集に『メキシコ料理店』(角川書店)、共著に『現代の俳人101』(金子兜太編・新書館)。
サイト「ono-deluxe」http://www.kanshin.com/user/42087

■中嶋憲武 なかじま・のりたけ
1960年生まれ。「炎環」「豆の木」。1998年炎環新人賞。99年炎環同人。03年炎環退会。04年炎環入会。来年、二回目の同人。

五十嵐秀彦 いがらし・ひでひこ
昭和31年生れ。札幌市在住。現代俳句協会会員、「藍生」会員、「雪華」同人、迅雷句会世話人。第23回(平成15年度)現代俳句評論賞。
サイト「無門」 http://homepage2.nifty.com/jinrai/

■遠藤 治 えんどう・おさむ
俳号四童(よんどう)。1958年生まれ。1994年より作句開始。「恒信風」同人。
ブログ「四童珈琲店」 http://navy.ap.teacup.com/yondoblog/

さいばら天気 さいばら・てんき
播磨国生まれ。1997年「月天」句会で俳句を始める。句集に人名句集『チャーリーさん』(私家版2005年)。ブログ「俳句的日常」 http://tenki00.exblog.jp/

■上田信治 うえだ・しんじ 
「ハイクマシーン」「里」「豆の木」で俳句活動。ブログ「胃のかたち」 http://uedas.blog38.fc2.com/