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2022-05-01

【2020/2021「落選展」を読む3】髙柳克弘『涼しき無』のことも少し 上田信治

  【2020/2021「落選展」を読む3】13.14.ハードエッジ  16.松本てふこ 17.丸田洋渡 19.矢口 晃 20. 薮内小鈴

髙柳克弘『涼しき無』のことも少し
……上田信治

 

13. ハードエッジ プランA「小さき箱」 ≫読む
14. 
ハードエッジ プランB「明日を信じて」 ≫読む

落としても割れぬコップを今朝の冬
(プランA「小さき箱」より)
電柱が出水の町に灯を点す
白玉の熱きを冷ます氷水

(プランB「明日を信じて」)

上記の他にも〈トンネルを抜けて明るし春の雪〉〈波音は波の残骸松の芯〉〈満月やダム湖の中の取水口〉〈割箸の先に毛虫がくねくねと〉などが印象的で、合わせて読むと、作者がモチーフを、事物の関係から生じる面白さに定め、それを俳句的光景において実現していることが見てとれます。

作者は、多くの句で、彼が発見した「面白さ」を、明確に書き示している。このようなロジカルと言っていいアプローチで「面白さ」にフォーカスすることは、内容・意味といったものへの志向を強めます。これは、俳句の現在のトレンドの一つかも知れない(この話、16.松本てふこ「シャンパンタワー」に続きます)。

しかし自分は、書かれた意味に収まりきれないものがあると見える、次の二句に引かれました。

魚屋の雪ふるころの品揃へ
山一つ氷つてゐたる昼の酒



16.  松本てふこ シャンパンタワー(*)≫読む 

(*)一次予選通過作品

 
雨傘をくたりと開き年賀客
太ければたやすく透けて氷柱かな
うつむいてをれば楽なり黄水仙
ふきのたう赤子の握り拳ほど
あをぞらの届かぬ繭と思ひけり
区役所へ行く夢見しと昼寝覚
本棚に少し隙ある月夜かな
 

この50句の「面白さ」あるいは内容は、いわゆる「人間味」の範疇に収まるもので、その意味内容が、季語の措定するものにしっくりと収まっている。巧みです。

そういった「よく分かる」意味内容への志向を、前項で「トレンドかもしれない」と思ったのは、たまたま高柳克弘さんの最新句集『涼しき無』(ふらんす堂)をご恵投いただき、何ページかを読んでいたからで。

通帳と桜貝あり抽斗に〉〈ぶらんこを押してぼんやり父である〉〈忘るるなこの五月この肩車〉〈子にほほゑむ母にすべては涼しき無〉〈駅前に人は濁流秋の暮〉〈パンのみに生くると決めて卒業す〉〈ふるさとに舟虫走る仏間あり(『涼しき無』より)と、これは帯に引かれた句の一部ですが、自分が思うところの「意味内容の句」が並んでいます。

たしかにね……、たとえば飯田龍太と田中裕明の後期をメルクマールにして俳句を考えたとしたら、誰にでも分かるドラマチックな内容と詩的な結晶性の両立が、俳句の理想形だとなるかも知れない。知れないんですが、じゃあ、波多野爽波はどうなるんだとw

そこに、書かれた意味とか人生からはみだしている、透明で抽象的なものが含まれていないと、自分はそれを俳句として物足りなく感じてしまう。

そして、てふこさんにも、それがたっぷりと含まれている句はあるわけです。

からすのゑんどう散歩して遠くまで
この森を欲しがつてゐる時鳥


17. 丸田洋渡 銀の音楽(*) ≫読む

(*)一次予選通過作品

窃盗のかがやきながら鵙の空
鍵ひとつふたつここのつ天の川
あちらから明けてゆく湾鳥渡る
つやつやと眼の曲面や菊花展
冬隣遠くから目が透けている
石蕗の花歯のように建つ新たなビル
分銅を囲んでいたり冬の夜
ちかちかと独楽の負け合うからくりは


これは、意味内容と詩的結晶性に分ければ、結晶性にほぼ全フリしている50句で、抽象的なのですが、同時にきわめて具体的に掴まれた抒情性があって、そこに作者という主体との対話性が生まれている。

俳句の意味とか内容というものは、そんなふうに、書かれた言葉が直接には示していないところに、生まれるものでもあって。

窃盗のかがやきながら鵙の空

意味不明のように見えるかも知れませんが「鵙の空」と天を振り仰いだとき、そこにはもう「鵙」と「窃盗」がひびきあって、ピカレスク的なものへの「あこがれ」(そしてその貧しさへの「かなしみ」)が発生している。

冬隣遠くから目が透けている

「隣は何をする人ぞ」があるので、本人、室内にいると読みたい。二階の居室にいて、木が葉を落とした空が広く窓から見えている。そして彼は、自分が一人でいることを、強く意識している。

天という字の対称に厚氷
書くうちにふと明るくて窓は雪
春のたましいの全体的な腐敗
鳥なら今日は飛んでいた空花かんざし
薇のすさまじい渦人体にも
金盞花卵のような明るさに
一羽ずつ涼しい鳥の汀かな
火と汐の交わっている牡丹かな
プールから鳥見えて空羨まし


2020年の「落選展」には、何作か、これは作者のこの時点での最良の達成だろうと思わせるものがあって、丸田洋渡さんの「銀の音楽」は、その一つでした。ぜひ、50句全体を確認され、ここには「作者」がいる、ということを確かめられたい。


19.  矢口 晃 帰る家(*) ≫読む 

(*)一次予選通過作品

排泄のための筋力鳥渡る
雁渡るビルを林と想ふとき
秋空へ音叉の音の出で行かず
ひらきたる指にかげなき四月かな
春蔭やぐしやつと畳む乳母車
鳥雲に入る炒飯の紅生姜
鼻先に汗しあはせになるための


高柳さんは前掲句集のあとがきで「主題の明確な句が多いのは、私なりの挑戦だ」「生や死にまつわる根源的な主題に、俳人もまた向き合うべきではないか」と自身の考えを明らかにされているのですが、労働、生活、死といったものに向き合った作品を高柳さんも属する「昭和三十年生まれ世代の次の時代を作るべき」世代グループの一人として、先駈けのように書き続けてきたのが、矢口晃さんであることは論を俟たない。

ひらきたる指にかげなき四月かな〉〈鼻先に汗しあはせになるための〉もうワーキングプアの恨み節ではない、働く人生の(微量のアイロニーも含んだ)肯定を受け取って、佳句だと思いました。

バス停のひまはり園児より高し
流星の尾よ野ざらしの大仏よ


バス停があることで生じた背比べの複雑さ、「猿の惑星」のラストにも似た幻想といった遊戯性にも引かれました(もともとじつはユーモアを武器にした書き手なのだと思います)。流星の句、その尾を、大仏がつかみそうではないですかw


20.  薮内小鈴 蜂と切手   ≫読む

水中を藻にまみれたる枯蓮
ゆりかもめ退屈顔の前へくる
万両や夕暮にして晴れ渡り
濡れてゐる漫画雑誌と女郎花


この人も、自身の感じられた面白さを、俳句に落とし込むことを楽しんでいる。それはきっと俳味と言われる領域なのだろう。

立春のホームの先にひらく傘

これは、いいフレーズ、いい情景。
 

 

 

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2022-04-10

【2020/2021「落選展」を読む 2】7. 西生ゆかり 9. 杉原祐之 10. 空谷雨林 11. 高梨 章 12. 中田 剛 あやうきにあそぶ……上田信治

 【2020/2021「落選展」を読む 2】7.  西生ゆかり 9.  杉原祐之 10.  空谷雨林 11.  高梨 章 12.  中田 剛 

あやうきにあそぶ……上田信治

 

7.  西生ゆかり 体と遠足(*) ≫読む

第一次予選通過作品

寄居虫を運ぶピアニストの右手
七月は光る焼肉屋の看板
秋の三階のコンセントの暗さ


オーソドックスな俳句(結社とか近現代俳句の遺産とか)とは違うところから書き始めた書き手は、しばしば、モチーフ=素材に対するフェチ、といって狭ければ「面白がり」をバネにする。この作者にも、そういうところがあるようです。

素材が目立つタイプの書き手がアマチュアっぽく見えるのは「俳句の価値は内容の価値とは別に現れるもの」だからだけれど、初心というわけではないのに「そこ」を離れない書き手は、自分がそう見えることを、自ら引き受けているのでしょう。

素材の面白さのレベルにとどまらないものが、言葉の運動として、内容と緊密に一致して現れるのであれば、それは俳句のまったく正当な書法であり、この人の書くものは、アマチュアっぽさをむしろ美点にしながら、その域に達しているわけです。

寄居虫」と「ピアニスト」というモチーフの「フェチ」あるいは「面白」っぽさ。優美な手がヤドカリを乗せて、という絵と、演奏時の「運指」が移動する節足動物の脚のようであるという絵が二重写しになっていて、そこに「ピアニストの右手」という音のぎくしゃくがダメをおしている。

秋の/三階の/コンセントの」と、とぎれとぎれになりそうな口調をたどっての結語が「暗さ」であるという、それは、さぞ殺風景な三階の空間だったことだろうというガッカリ感。せっかく三階までのぼったのにという内容が口調に結びついて、十七音が、他にどうなりようもなかったという仕方で、充実しています。

海老で作るハートマークや冬の旅
柏餅書けなくなつてからの指
フランスの犬の心配桜の実
蛸の脚二本と本体の一部
珈琲が来てから外すサングラス


まぎれもなく「現代」である生活。これらのモチーフの、微量の馬鹿さとグロテスクさによる趣味性の表現は、詩に充足することを許されない同時代的不全感と、なおもそれを楽しんでしまえる胆力とを、読み手に共有させる。

つまり、この書き手は俳句の中で「ニヤニヤする」ことに成功している。


9.  杉原祐之 空バス ≫読む

七夕の夜の七人の句会かな

この「七人」の「」の無駄さ、無意味さは、ブラヴォーに値すると思うんだけど、たぶん、客席で自分しか立ちあがってないw 

この作者専門の、低佪とただごとは、虚子とホトトギスの系譜を意識しつつ書く人にとって、ひじょうに生産性の高い領域で、若手でも、西村麒麟、抜井諒一、小野あらたと、それを主たる方法とする何人もの書き手の名があがります。

そして、低佪とただごとは、低さに対する初発の驚きを失えば頽落する。ただごとは(本当は)ダメ比べになってしまってはダメなのですが、しかし。

七夕の句の(なんというか)下に突き抜けたどうでもよさには、ただごと俳句を更新するヒントがあるように思います。

もじやもじやの雲を割りたるけふの月

このたび、第二句集『十一月の橋』を上梓された。


10.  空谷雨林 花園 ≫読む

四才のあなたに蝶がとまりしこと

この句の「四才のあなた」は、「卒業の兄と来てゐる堤かな(芝不器男)と同じ言い方で、誰でもありえたはずの「あなた」()を、その日その時、ただ一人の「その人」だった人にしてしまう。

不器男の「兄」の句は、自分にとって俳句の一つの究極なのだけれど、その究極は、同時代の俳句にこうして何度でも見出せる、ありふれた奇跡でもある。

春の波みな包帯にしたまへと


11.  高梨 章 透明水彩(*) ≫読む

 
第一次予選通過作品

この犬をつれてのはらにはるのあめ 
その場所はこれからさらにいぬふぐり
芹をあるくきのふの雨の声がする
とどかないひかりもあつて野の遊び
とつぜんですが鰆を食べにいらつしやい 
永き日やこれから足を組みかへる
ここに住むひとりのひとの皿と薔薇
聞いてゐたつもりが風鈴鳴りにけり
皆さびしいところに住んで土用かな
ばつたの死いちにち靴をはいてゐた
じやがいもをひとつ取つてくれないか
三人のうちのひとりが蒲団敷く


この作者に、好きな詩人は誰かを聞いて、中公文庫の『日本の詩歌』などで探して、ゆっくり読みたい。まちがいなく、この人は、ゆたかな詩体験をバックボーンとして持っているはず。

50句がその詩的なトーンを崩すことなく一貫しているのは、それだけでもたいしたことだと思うのですが、注意してみれば、一句一句に、単なる「詩」っぽさにとどまらない、ヒューマンな内実がモチーフとしてあることに、気がつく。

皆さびしいところに住んで土用かな

皆/さびしいところに住んで」は「皆さびしいところに住んで」でもある。つまり、そこは、多くの人のくらしがあるのに、全員さびしいという、そんな場所なのだ(しかも、それが「土用」)。自分は、川沿いに小住宅が建ち並ぶ光景をイメージしました。私たちは、みんな、そんなさびしいところに住んでいる。

ばつたの死いちにち靴をはいてゐた

いちにち靴をはいてゐた」ものすごく当たり前のことなのに、こう書かれると、それがとてもざんねんなこととして響く。たとえば「セールスマンの死」といった言葉(戯曲のタイトルだけれど)が連想されるわけだけれど、そのときこの「ばった」は、歌って暮らしたかったけれど働いて死んだタマシイのように見えてくる(バッタが靴を履いていたら、それ漫画映画だし)。

この50句が、一次予選を通過し、岸本尚毅さんの推薦を得て本誌に抄録(10句)されたというのは、なかなかの快挙だったのではないでしょうか。


12.  中田 剛 捨てる神(*) ≫読む

第一次予選通過作品

靄きれぎれに冬の田にやすらへる
山裾に雨脚さはるしぐれかな
庭草にきたる枯れいろ粛粛と
冷えきりし肌着に首をとほしけり
霙降るなかを漬物石さがす
蒟蒻の土佐煮いただく翁の忌


1句目から6句目までを、省略せずに引きました。

それぞれに見所があって、破たんがない。立派な句ばかりです。「靄きれぎれに」の、2/5/5/5という、沈み込むような破調。中句を5にした字足らず感が、中句と下句のあいだに、深い切れを生み、そこでほとんど息が尽きるのだけれど、その疲労感と、冬田にひろがる靄の視覚像がぴったりとシンクロしている。「冷えきりし」の句の「」を通すという描写のたしかさ。たしかに、肌着の冷えを受けとめるのは、まず首で、そこにヒヤリとしたものが触れることは、たいへんに不吉な冬の朝である。

息白くいのちはひとつきりなると

それに続く7句目ははっきりと通俗のゾーンに足を踏み入れていて、となると、1〜6句目の「」「山裾」「庭草」「肌着」の各句、心象風景として、あるいは俳句的景としてベタに過ぎると言えなくもない。そのトーンは最後まで継続していて(これはちょっとどうかなあという句もある)それは、この作者が、そういう「あやうきにあそぶ」を楽しんでいるということなのかもしれない。そして、とうぜんのように、見所のある句、立派な句はいくらもある。

元日は湯を沸かしをる音に覚め
虹のいろ空に吸はるる二月かな
御所の夜気春の鳴神わたりゆく
夕空のはたして暮れぬ燕の子
青梅を片手づかみに筵まで
かたつむり高浜虚子の庭に湧く
おぢさんとおばさんだけで溝浚へ


  >> 【2020/2021「落選展」を読む1】

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2022-03-26

【2020/2021「落選展」を読む1】私たちは(伝統回帰の)三代目なのだろう 上田信治

 【2020/2021「落選展」を読む1】1.青島玄武 3. 岡田一実 4. 落合耳目 6. クズウジュンイチ

私たちは(伝統回帰の)三代目なのだろう……上田信治

 

これから2年分の「落選展」応募作を、5月までかけて読んでいく予定です。

角川文化振興財団主催の公募新人賞「角川俳句賞」の、2020年、2021年は、受賞作を見ても予選通過作を見ても、この十何年かの「俳句の変化」が「仕上がった」と言えるような年でした。(*)

その「俳句の変化」を洒落て「ウェーブ」と呼ぶならば、小誌「落選展」は、まあまあ、その「波頭」であり続けたと自負しています。

そして、この2年の「落選展」の作品は、じっさい、たいへんに充実していました。


1.  青島玄武 辛夷の空 ≫読む

休暇果つ畳にこぼすコカ・コーラ

畳にこぼすコカ・コーラ」は、むしろ、夏休みのにふさわしい景。そういう事態が「休暇果つ」すなわち最終日、もしくは、もう学校や職場がはじまっている日に起こっている、休暇が、まだ、ぜんぜん尾を引いているという可笑しさ。これから畳のコーラを拭き取るだろうツルツルとした感触も楽しい。

陸橋の上にも踊り止まぬ人
枯山河その真ん中の遊園地
おにぎりの中から桜吹雪かな
甲板が全般的に蛸となる
緑陰に冬物あまた干されあり


人間的「面白」のモチーフが、こうして景を息づかせていることは、正統的俳句の興趣と言っていいもので、自分はこの書き手のことを、ほとんど荒武者のようなユーモアの人として記憶していたのですが、認識が改まりました。

紫陽花の花びらごとの影日向


3.  岡田一実 文字 ≫読む

※一次予選通過作

熱移る三つ葉の茎や雑煮椀
吾を見て縄跳のまま横へ逸る 
門灯に貌あらはるる雪達磨 
渦潮のうづ巻く前の盛り上がり 
ヒヤシンスその根巻かれて売られあり 
雨は灯に乱れて夏の欅かな 
河骨の花ごと揺るる中の蜂 


先に触れた「俳句の変化」言い換えれば、ここ十何年の俳句のトレンドないしは課題が何だったかといえば、いわゆる「昭和三十年代世代」と呼ばれる作家たちを(とりわけ、小川軽舟言うところの、彼らの形式とのなじみのよさを)どう発展的に、あるいは批判的に継承するか、だったように思います。

それは、もう一世代前の「伝統回帰」「虚子回帰」とくくられる方向性の、昭和三十年代世代による相続の、そのまた次ということになる。

要するに、私たちは(伝統回帰の)三代目なのだろう。

 ──と、これが自分の問題意識です。

さて、この作者は、その数冊の句集において、統語の屈折やイメージの重層を駆使し、マニエリズム的な絢爛さを達成として示しました。それは、まさに、上に挙げた課題に対する回答の一つだった。

しかし今回の50句の力点は、大正から昭和初期の俳句の価値を共有する、上掲のような句群にある。発表のたびに、この人がいかに激しく「昨日の自分に飽きるのか」を見せられて、驚きます。この50句は、2020年のこの人がここにいた、という記録に過ぎないのかもしれません。

そして、これらの過去と並び立つことを志向する句にも「昔の人はそう書かなかっただろう」という逸脱的な言葉の運動は仕掛けられていて。

雨は灯に乱れて夏の欅かな 

夏の欅」という、日差しの中のそれしかイメージしようのない対象を、はげしく暗い雨に、モンタージュ(夜とも昼ともとれます)。写生の言葉が「絵」を作ろうとすることを、かすかに裏切る引っかかりがあって、頭が混乱して、とてもよいです。


4.  落合耳目 LED ≫読む

飼猫のやうに扇風機を運ぶ

この句、いいでしょう? もし「猫歳時記」を企画される方がいたら、ぜひ。いや、普通の歳時記にあってもいいような句だと思います。

台風の怒りを捨ててゐる河口
店閉めて誠に勝手ながら秋


6.  クズウジュンイチ 静かな野球 ≫読む

自分とこの作者とは、ずっと句会をやっていたので、身内に近い関係だということは申し上げておきます。やってることが、わりとよく見えてしまう。

静かな野球たんぽぽがわりとある

主人公が野球をしているともしていないとも取れるのですが、カメラか神のような透明な視点がこの景を見ている、と取るほうが、野球との距離が自在になって面白い。空間に遍満する透明な主体が「たんぽぽがわりとあるなあ」と思っている。「わりと」の措辞が、それを単純なカメラアイとは読ませないわけで、もちろん、主人公は、神様のような暇な失業者でもありうる。滋味掬すべし。

小鳥屋が一人で運ぶ花曇

小鳥屋が運ぶその対象を言い落として「花曇」と入れ替えてある。小鳥屋がそれを「一人で」運ぶ。なぜそれが「一人」と見えたのかという謎が、景全体を「花曇」にふさわしい、もっさりと薄暗いものにしている。

上掲二句「わりと」「一人で」と、言わずもがなのフレーズから発生する「すわりの悪さ」が、不安定な情緒に着地することに、妙味がある。

かははぎの煮汁に顔の剥けてをり
裏山のそとがはにゐるほととぎす
ひつかけの釘に傾く草刈機
炎天のガードレールにひどく粉
十三夜つるりとくぼむ駅の椅子
鱈ちりやきれいに住んでメゾネット
生の火を荷台に積んで焼芋屋
あの器具に鯛焼ひとつひとつ焼く


ここで書き手が提示するのは、現実のさまざまなありようなわけですが、言葉とそれの対応関係にはからいがあって(たぶん、可動域のようなモノが大きく、ぐらぐらするので)そこに読み手を誘い込む運動が発生している。

かははぎの」の「の」は主題を提示する「の」で「の剥けてをり」に係るわけですが、語順的にまず「煮汁」に係ってしまうので「」がほら、ごろんと転がりますでしょう? 「草刈機」の(たぶん持ち手のひもが釘に架かっている)状態のわかりにくさも、そのまま力学的不安定さとパラレルです。

雨粒のこまかく付いて狐かな

この狐、まっすぐこちらを見ているような気がする。光の粒をまとって、現実の狐が、使いか精霊のようにそこにいるという驚きを、言い得ている(作者は地元の野山をフィールドワークするナチュラリストでもある)。

この人の言葉は、対象それ自体の価値(季語やモチーフの具体物としての価値)よりも、言葉それ自体が面白く運動することを志向している。

それは、たとえば、鴇田智哉、佐藤文香以降の(と、くくっていいと思うのだけれど)新しい書き手が多く共有するエートスなのではないか。

 (2につづく)

 

(*)「落選展」のとりまとめを、もうたぶん15、6回やっているので、自分は「角川俳句賞」という新人賞の「定点観測者」を名乗る資格があると思う。そのたぶん誰よりも熱心で親切な「ウォッチャー」としての総括。 

 

 

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2020-11-07

週刊俳句 第707号 2020年11月8日

 707
2020118


2020角川俳句賞「落選展」


1.  青島玄武 辛夷の空 ≫読む

2.  大西主計 画面に指を ≫読む

3.  岡田一実 文字(*) ≫読む

4.  落合耳目 LED ≫読む

5.  片岡義順 舞うて舞うて舞うて川まで枯一葉 ≫読む

6.  クズウジュンイチ 静かな野球 ≫読む

7.  西生ゆかり 体と遠足(*) ≫読む

8.  島村福助 春のウイルス ≫読む

9.  杉原祐之 空バス ≫読む

10.  空谷雨林 花園 ≫読む

11.  高梨 章 透明水彩(*) ≫読む

12.  中田 剛 捨てる神(*) ≫読む

13.  ハードエッジ プランA「小さき箱」≫読む

14.  ハードエッジ プランB「明日を信じて」 ≫読む

15.  松尾和希 パレード ≫読む

16.  松本てふこ シャンパンタワー(*)≫読む

17.  丸田洋渡 銀の音楽(*) ≫読む

18.  山本真也 すべての人に口づけを ≫読む

19.  矢口 晃 帰る家(*) ≫読む

20.  薮内小鈴 蜂と切手   ≫読む
 
(*)一次予選通過作品 


参加者プロフィール  ≫読む

…………………………………………


〔今週号の表紙〕足跡……岡田由季 ≫読む

後記+執筆者プロフィール……上田信治 ≫読む



新アンソロジー『俳コレ』刊行のごあいさつ≫読む
週刊俳句編『子規に学ぶ俳句365日』のお知らせ≫見る
週刊俳句編『虚子に学ぶ俳句365日』のお知らせ≫見る

1. 青島玄武 辛夷の空

1.  青島玄武 辛夷の空

鼻歌も秋めく頃となりにけり

休暇果つ畳にこぼすコカ・コーラ

風の色古き写真にありありと

良宵や皿を溢るるスパゲティー

爽やかに相合傘は解けたり

小さきに膝を屈むる水の秋

陸橋の上にも踊り止まぬ人

もうひとつ枝豆つまむ赤き爪

騒がしき百寿の通夜や虫の夜

またしばし夜を見つむる菊人形

枯山河その真ん中の遊園地

踏切に対岸のある寒さかな

唇を嘗めて湿すや去年今年

家元が一番下手な能始

それぞれの首を洗へる初湯かな

寒晴れやラジオ体操する背広

日輪の蘂震はせて寒牡丹

節分に少し離れて家の猫

ぶつぶつと野火の呟き止めどなし

花買うて花屋出られぬ春時雨

自転車も椿を踏んで通学す

蝌蚪の水湧くや古墳の底ひより

春灯や一日を終へし指の傷

贋物の九谷の皿の鶴も春

ぶらんこの隣は彼氏とも違ふ

目刺焼くと仏の匂ひしてきたる

まんじゆうも知らぬ顔して雛人形

散りてなほ辛夷の空のありにけり

をさなまで同じ訛や桜餅

プリウスの後部座席の桃の花

ふるさとの川の臭さよ花万朶

おにぎりの中から桜吹雪かな

打球音花の端まで響きけり

ひとひらの落花に浮かむ阿蘇五岳

蘖ゆる合掌の手を開く如

羊羮を春の愁ひを切り分くる

神様を脇に退けたる藤の花

麦秋を縁取るやうに陸上部

海神の耳へ囁く不如帰

甲板が全般的に蛸となる

滴りの下に生れにし社かな

緑陰に冬物あまた干されあり

青空の端まで田植終りけり

大王の棺重なる紅の花

とりどりに傘を傾け大祓

親の滝子の滝孫の滝と落つ

蝿帳へ賞味期限の切れたるも

紫陽花の花びらごとの影日向

軒下に迫り来たれる夏野かな

午後九時で最終列車翌は秋

2. 大西主計 画面に指を テキスト

 2.  大西主計 画面に指を 

出発は薄氷の鳴る水溜り
駅が開きスーパーが開き花辛夷
裏露地の蝶が眩しくしてゐたる
珈琲を買つて片手に春浅し
製油所の銀の配管春の海
オートバイを押して石蓴を見下ろして
たんぽぽの富士演習場の煙かな
爆音は春の光の奥高く
虻のゐて自販機だけの休憩所
ゆるゆると下りてゆく道うららけし
春昼やうしろに人の見えずなる
野遊びのイートインにて別れけり
思ひだすやうに葉を剝く桜餠
鳥曇古新聞の束を積む
からつぽの雨の教室花は葉に
いつまでもガム嚙みてをり新樹の夜
背丈ほどの顔のポスター夏来る
雨あがり白百合のみが背の高き
濡れ傘を突つこむ袋半夏生
信号の向かうにひとり片かげり
帰省の旅海岸線のただ長く
ボートに凭れ舟虫のみな逃げる
泳ぎ出て水の冷たくなるところ
その後は立つて裸で水を飲む
夏の果デッキブラシを忙しなく
夕焼と汽笛の溜まる坂の町
やあやあと挨拶しつつ門火かな
浜砂の緊まれば秋の来てゐたり
墓参いつもの手順いつもの帰路
ねばりつくやうにまはりを赤とんぼ
抜いて積む朝顔の蔓そして種
鰯雲さうか募集は終はつたか
出航の合図は嗄れて文化の日
来てさつと鰡網打つて行かれしよ
色鳥に目を誘はれて空の青
菌山ここを越えればだれも来ぬ
銀杏散る大通りまで戻りけり
いつまでも建たぬ区画を寒鴉
ほどほどに雑草ありて小春かな
踏み歩く溝蓋の音冬の朝
極月の画面に指を走らせる
枯草に底を搏たせて停車せり
一片の風花飛ばず空深し
底冷の唾を呑み込む喉仏
白鳥の騒ぎのいつか風も無し
夜鳴蕎麦ネット空間しんしんと
冬月やなんと遠くに坐りゐる
翻る背のしなやかに雪の街
白葱を高く掲げて帰るなり
ビル眩し口を結んで春を待つ


3. 岡田一実 文字

3.  岡田一実 文字

水引や泥鰌は己が泥煙 

蓮の実の下もじやもじやに蓮の蘂 

鶺鴒の浅瀬に歩く脚うごかし 

掃苔や濱に火を焚く音の中 

猫じやらし風に根元の濃くれなゐ 

実をつけて屁糞葛の萱を巻く 

秋の滝ふたすぢ同じ滝壺へ 

窪に渦してそれよりの紅葉川 

木柵を跨ぐ脚立も松手入 

卵殻のあはき凹凸白秋忌

走り根を階として茸山 

すぐ飛ばす綿虫を手に歩かせて 

返り花川は巌の段に急 

雑炊の卵蒸す間の二三言

話しあふ忘年会を思ひ出し 

祭壇の短き菊や初詣 

門松の松細し竹猛々し 

初かがみ吾の背景の白き壁 

可笑しいと思ふそれから初笑 

前傾に揺れてひたすら初笑 

熱移る三つ葉の茎や雑煮椀 

白粥炊くあひに七草切る微塵に 

吾を見て縄跳のまま横へ()る 

滾る閾超え千切らるが波の花 

門灯に貌あらはるる雪達磨 

寒鴉まづ足に跳ね羽に飛ぶ 

窓のあるビルが街なす冬日かな 

雲ざつと来て探梅を急の雨 

春の風邪まなこのミモザ殊に黄に 

鶯笛ひなたの味に鳴りにけり 

こゑの目白すがたの目白梅に来る 

渦潮のうづ巻く前の盛り上がり 

はくれんを夢のごとくに穢のおよぶ 

ものの芽といふには少し長かりき 

子のこゑの宙をつたはる土筆かな 

ほほゑみのいまは動かず雛人形 

歩くとき黙に発つとき囀りに 

宙あをく見ゆる不思議を飛花落花 

ヒヤシンスその根巻かれて売られあり 

夕光(ゆふかげ)の風に粒なす苜蓿 

歪み開く口の黄色や燕の子 

羽虫あまたたかる花あり泰山木 

六月や薄日に高嶺揃ふ(ひる)

雨は灯に乱れて夏の欅かな 

河骨の花ごと揺るる中の蜂 

萍をおし分け泡の浮き出づる 

勢ひのよき滝にして丈短か 

脚に蝶まはしつつ蜘蛛それを食ふ 

夏痩や文字を解して手紙読む 

あをく暮れゆく夕焼のすぢ残し