【芝不器男俳句新人賞・公開選考会レポート 後篇】
新しさとは何なのか〈まとめ編〉
松本てふこ
芝不器男俳句新人賞公開選考会レポ、後編である。前編の勢いのままに突き進むつもりなので「前回のあらすじ」のようなものは省かせて頂く。ご了承頂きたい。
最初の投票で審査員5名中4名の支持を集めた作品番号
029。数の上からすれば、受賞作は決まったも同然だった。しかし、2回目の投票(2作品選出)での最多得票は、最初の投票者全てが再び票を投じ3票を獲得した
072であった。029と
058は2票獲得。城戸委員、齋藤委員の両名が最初の投票で029と072の両方に入れていたが、2回目で両名とも072支持にまわった格好となった。
「イメージとしての戦争」「コンピューターの先にある、はじきだされた敵」城戸委員が072を評する言葉は俳句を語るそれではないような響きを持つ。世界のどこかで起こっていることではなく、身近なものとのして戦争を捉えた点を1回目の投票に続き評価している。齋藤委員がその流れを引き継いで戦争詠への言及から「憎しみが戦争を生むのではない、政治の失敗が戦争を生む」という戦争論を展開したあたりで、072への後押しモードは最高潮に高まった。対する坪内委員は〈
戦争は発作にあらず月に暈〉〈
人間をとことん憎む神の留守〉〈
心房はさびしきところ霾れる〉などの句に触れ、「思い+季語」という基本的な形で作句する場合、よっぽど新しいことを言わなければいけないのではないか、と批判的に指摘。〈
奈落には奈落のおきて蛙鳴く〉〈
退化より進化の不安目借時〉に関してはその古さを指摘した。対馬委員も〈
ぼうたんの天上天下すべてやみ〉の下五、〈
重力のかたまりとして苺かな〉の「として」の部分に疑問を呈した。定型詩としての稚拙さ、ということか。072への評の中で印象的だったのが、坪内委員が齋藤委員に「(作品の魅力を)納得させろ」とストレートに言葉をぶつけ、対する齋藤委員が「納得させられないんですよねえ」とつぶやきながら評をし始めたシーンであった。納得させられない。重い言葉だ。人と楽しみを分かち合える句群かと言えば、そうではない気がする。城戸・齋藤両委員のロジカルな読みを聞いていて抱いたのは、読者に対して雰囲気で読むことを拒否し、言葉と論理でその魅力を顕在化させることを要求する句群という印象だ。言葉で魅力を解き明かせる点で数学のような楽しみがある、とも言い換えられようか。しかし、説明することと納得させることは違う。「この句いいよねえ、うんうん」とうなずき合える句があるかどうかは少々疑問だ。072を2回目の投票でも支持しながら、「知識としての戦争」という言葉を用いてその観念性を指摘した大石委員長の発言も気になった。
058に関しては、わからなさを大事にしている、読んだ人の世界を広げる、と坪内委員が熱心に評価した。〈
泣く人がいそぎんちやくに見えてならぬ〉〈
明易のわれもむかしは木から木へ〉は坪内・齋藤委員共に支持していた。自ら票を投じたが「冒険もない、古風でもない、こういう句を選べばいいんだろうな」と評した齋藤委員、「072よりはいい」という対馬委員など、評の言葉が全体的にややローテンションであったためか、2票を集めたにもかかわらずそれほど注目は集まらなかった。
対馬委員の一押しは
049と
081。選が他の委員とかぶらない、とぼやきつつ049の評を進めて行く。049に関し、対馬委員はその屈託のなさ、おとなしいがテーマ性や言葉の意外性に頼らない作品世界を高く評価した。その即物的な描写をほめていたのが〈
一枚の障子すとんと外れけり〉。
「気持ちが前面に出ている」「有季定型に変わった点が何かしらプラスされている」「技量を感じる」と対馬委員に絶賛されていたのは081。029、072への対抗として終盤で一気に注目度を上げた。100句としてのまとまりという観点を強く打ち出し、072に関しても「100句としての勝利」と一定の評価を下した対馬委員が定型詩としても1つの作品群としても納得しうる、と最終的に選んだのが081だったのでは、と推測される。「句集になった時にいい句が多い」という評は印象的だった。もう少し早い段階からこの作品が注目されていたら選考会の流れは大きく変わったのではないか。〈
毛を刈られ羊は多面体となる〉の現代的なレトリック、〈
星条旗の青い部分を昼寝かな〉の「わかるようなわからないような」魅力、〈
歌積んで山河を成せと偽勅かな〉の骨格と重厚さ、〈
月と日にわれてあはぬよ枯木山〉の堂々とした詠みぶりと寂しさ、どれも読者の心をじわじわと浸食してくる。惜しむらくはその「じわじわ」に即効性がいささか欠如していた点であったかもしれない。
1回目の投票で大石委員長に推された
012は、2回目の投票では言及されなかったが、現代性、作者の姿が見える点、季語の使い方の確かさを評価され、大石悦子奨励賞を受賞した。〈
抽出にモデルガンあり雁帰る〉〈
朝桜ダムの放水はじまれり〉〈
リネン室にシーツ山積み夏をはる〉〈
月明に大胸筋の張りにけり〉などが注目句として挙げられた。
ご存知の通り、最終的に受賞作となったのは029である。大石委員長の072への疑問は、この029の作品世界への熱い共感あってのものか、と解釈できる発言が沢山出た。上品ではないがウソがない、俳句の可能性を感じる、この人の生き方が現れている、この人が進む道の困難さに半分同情もするetc…。私は大石委員長がグロとナンセンスの世界、と評した〈
排泄をしようぜ冬の曇天下〉〈
滝のごとゲロを吐く月を背にして〉など、やっぱりどこか懐かしさのある無頼の匂いだな、と感じた。私個人は029に新しさはそれほどないように思う。俳句ではなく生命体がへばりついた言葉のようで、捨て置けないというのが一番正直で強い思いなのだが、そんな言葉では論じていることにならないであろう。閑話休題。072に威勢良く噛みつき、058を高く評価した坪内委員は「これがいい、という作品は少ないが、試みているというか、このパワーだけでやっているところを買いたい」と、ややクールな姿勢。芝不器男俳句新人賞も第3回を迎え、起承転結で言えば「転」の時期にさしかかっている、だからこそ無季も自由律も含まれた029の作品を選びたい、という大石委員長の発言は有季定型への揺るぎない愛情ゆえのものなのだろう。
「句集としてどうなのか、句会で見たら選ぶ句なのか、受賞作として選ぶのは定型詩でなくていいのだろうか?」という疑念を最後まで表明し続けた対馬委員が決選投票直前に放った一言は忘れがたい。「口語、無季なら新しいのですか?」。そんなはずはない、という確信があるからこそ出た発言。これもまた、有季定型への愛ゆえの言葉だった。
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最後に、特別賞の話を。特別賞に選ばれた
060の句を、特別賞選者である西村我尼吾参与がいくつか挙げて読み上げたのだが、それが声量たっぷり情感たっぷり、独自の節回しとしか言い様のない名調子で作品世界と絶妙な調和を成していた。西村参与をご存知の方は是非以下の句をおのおのの脳内YouTubeで再生して頂きたい。〈
仔鼠をそっと握らば腸(わた)温し〉〈
良質の毛皮となりしいのちかな〉〈
父子ふたり鹿殺したる絆かな〉〈
死にゆく人間にさへもヒエラルキイ〉
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