「週俳の2012年」回顧
〔1〕一月~三月:第258号~第257号 ……上田信治
2012年の第1号第245号は、1月1日リリースでした。恒例の、ほんとうに新年に詠む「新年詠」もさすがに間に合わず、週俳運営スタッフ4名が、新年のごあいさつと作品を発表しています。今井聖さんの連載「奇人怪人俳人」は「恋多きカリスマ 原田喬」。近恵さんが語る2012の展望に「賞金狙いで各俳句の賞に応募」とあります。まさに有言実行かつ一年の計は元旦にあり。
第246号掲載の新年詠は、今年はついに148句。連載「牛の歳時記」鈴木牛後さんの新年牛詠と、あとがき(なんと6日遅れでup)の一句を加えて150句に。
2011年末刊行の『俳コレ』、掲載作家作品特集は、前年にはじまり、247号(谷口智行・小林千史)、248号(雪我狂流・依光陽子・矢口 晃・山下つばさ・福田若之)、249号(望月 周・林 雅樹・松本てふこ・野口る理)、250号(齋藤朝比古・津川絵理子・岡村知昭・南 十二国)にて完結。
〔週俳12月の俳句を読む〕は、247号、248号に掲載。
第247号〔句集を読む〕に、御中虫『おまへの倫理崩すためなら何度(なんぼ)でも車椅子奪ふぜ』(野口裕)、西原天気『けむり』(堀本吟)。「この句集は、おしなべて淡いモノがたたえるある種の力にたいして敏感である」(『けむり』評)「私もくらげになりそうである」(『おまへの〜』評)。「週俳時評」(生駒大祐)は現俳協シンポジウム「俳句の終焉」を取り上げます。
第248号から、小川春休さんの「朝の爽波」連載開始。西丘伊吹さんの時評は「岸本尚毅『生き方としての俳句 句集鑑賞入門』を読む」。四ッ谷龍さんの「藤田哲史の俳論はすぐれて作家的である」は、個人誌「傘karakasa」の飯田蛇笏特集評。「この論考を、藤田は次のように美しく締めくくっている。蛇笏俳句を読むことは静的な受容ではなく、読んだ瞬間に自分の内に壮大な城が立ち上がるダイナミックな体験であるという、作家的な信条を告げた、すばらしい文章である」。月天子 Gallery 新春蔵出し[77コレクション]は、なぜか(!)歌仙の短句だけを掲載。〈高野豆腐をめざす青年 ゆかり〉〈コホンと言へば尾崎放哉 天気〉
第249号、五十嵐秀彦さんによる長文の時評「「中央」と「地方」について考える」は、今年後半の【itak】発足に直結する、貴重なドキュメント。「しかし、物理的な「中央」が仮想「中央」化しつつありながら、「地方」という実態はその影響の外に置かれ、100年の歴史を持つ団体もある各地の俳句会が衰退し消滅し始めている(…)ネットの普及を背景に文化のあらたな「中央」が現われてくるのであれば、それはあらたな「地方」の登場でもなければならないのだ。」「林田紀音夫全句集拾読」でおなじみの野口裕さんの「連想遊戯:阿部完市坪内稔典三段階論板倉聖宣脚気論森鴎外大逆事件」は、特異な散文。
第250号 は、101歳の俳人金原まさ子さん特集。作家論、写真館、インタビュー、小文等を掲載。ツイッターで話題が沸騰しました。102歳を迎えられる来年2月には、第4句集出版の予定。この号から時評執筆メンバーに松尾清隆さんが加わります。
251号の10句作品は、谷口慎也さん、中山奈々さん。〔奇人怪人俳人〕(今井聖)は川崎展宏さん。実地に見聞された「伝説」の酒癖も。
252号掲載(後半は253号)の「『新撰21』『超新撰21』『俳コレ』総括座談会」は、筑紫磐井+高山れおな+対馬康子+上田信治+西原天気+乱入・西村我尼吾というメンバーによる、2010年から年に1冊づつ刊行された新人アンソロジーの、内幕および総括座談会。これも歴史的な資料といえるかも、とちょっと自画自賛。
同じく252号には「奥村晃作同好会」(太田うさぎ+西原天気)前編が掲載(後編は255号)。〈次々に走り過ぎゆく自動車の運転する人みな前を向く〉〈ボールペンはミツビシがよくミツビシのボールペン買ひに文具店に行く〉などのタダゴト歌で知られる歌人の魅力を語り合います。
〔週俳1月の俳句を読む〕は、251、252号に掲載。
252号、10句作品は小林鮎美さん。「ワーカーズダイジェスト」というタイトルで、現代的職業生活を描きます。小林苑をさんの「空蝉の部屋 飯島晴子を読む」第3回は〈春山火事の男戻れり白襖〉をとりあげます「東京にも余震は続いている。原発被害も大きくなるばかりだ。俳句は読者に読みを委ねる詩形である。こんなときに読むからだろうか。揚句の白という沈黙が迫る」。
第253号は、俳句作品はなくても盛りだくさんの号。「『新撰21』『超新撰21』『俳コレ』総括座談会」の(2)、(3)の一挙掲載。関悦史さんが「長時間露光撮影的花鳥」というタイトルで河内静魚句集『夏風』の鑑賞を、森川雅美さんが詩歌梁山泊の第2回シンポジウムについて執筆。さらに、上田が「短歌」3月号の、生駒大祐が「俳句」3月号の座談会記事を読みつつ、震災に対する作者の反応あるいは態度について書いています。「人を「救う」ことって、もっとステージの高いことだと思うんです。簡単にその言葉を使ってしまうと、時には致命的になるくらいには」(生駒)。
第254号は、クンツァイト丸ごとプロデュース号。20余年を句会と句会報だけというストイックな運営スタイルでやってきたグループです。依光正樹さん、下坂速穂さん(8月に句集『眼光』を上梓)の10句。 外部発表はほぼはじめてという6人の作品(その一人、神山朝衣さんは、今年、角川一次通過。落選展にも参加して下さいました)。文章も非常に読み応えがあります。「鳩はいつものように我家の棟に次々と降り、忽ち棟は隙間なく埋め尽くされる。叔父が狙いを定めて空気銃で撃ち始めると、四~五羽が屋根を転がり、軒下へと音を立てて落ちてきた」(関口登司郎「撰者の一句」)
第255号の10句作品は、松井康子さんと横山尚弘さん。相子智恵さんの持ち込み企画、映画「ほかいびと 伊那の井月」の特集1回目。時評は西丘伊吹さんが震災詠について。西原天気さんの〔句集を読む〕は喜田進次句集『進次』を断章風に。「句集を読む際には、しかし、これらはどだい、一体でしか読みようがない。/(俗流テクスト論ではなく)つまりは、句集『進次』を読むとは、喜田進次という「作者」を体験すことでしかないではないか、というだけの話。/(さりとて評伝的俳句解釈でもなく)」
〔週俳2月の俳句を読む〕は255号と256号に掲載。
さて256号もたいへんボリューミィ。10句作品は涼野海音さん。京都で行われたシンポジウム、愛媛大学写生・写生文研究会(関さんの回顧にも登場。サト父こと佐藤栄作先生の仕切り)「俳句にとって「写生」とは」。竹中宏さんの基調講演の完全収録。竹中 宏、岩城久治、中田 剛、関 悦史、青木亮人各氏にによる討論は、久留島元さん、彌榮浩樹さんがレポート。さらに、竹中さんと関さんによる、写生論掲載と、たいへんな充実ぶりです。
さらに、映画「ほかいびと 伊那の井月」公開記念小特集2回目。井上井月100句抄に、相子智恵さん、橋本直さんの短文、井月をめぐるブックガイド。さらに、西村麒麟さんの伊那在住の頃の思い出「いーな伊那っていうけれど言うけれど」がこれまた圧巻「ほんとーに恥ずかしい事なんですが、その時大学で付き合ってた彼女が伊那の人でして、当時の僕は東京に行って俳句をやるのだと燃えていて(young!)、それでいて東京の俳句エリートみたいな人達とまともにやっても勝てないかもしれないので(この辺が僕らしくて卑怯)、とりあえず(何故!)伊那に行き、井月や信州系の俳人をみっちり読んで大自然の中で俳句を磨けば、気が付いたら「吉野の石鼎」みたいに人に負けない大俳人になるに違いないと、そんなどうかしている事を本気で考えていました…」。
第257号は、生駒大祐さんの週俳運営卒業記念「夜霧のサンドイッチパーティー」天気さん宅よりの中継がメイン企画(途中、佐藤文香さんの乱入アリ)。生駒さん、お疲れさま。ありがとうございました。加えて、前号の写生特集に四ッ谷龍さんからのレスポンス前編(後編は258号に掲載)「「継続的に発生する個人の情念が作品から抜け落ちていて」「モノがゴロリとある感覚」を、私は「俳句性」と考える(…)こうやって見ていくと、今私が述べた「俳句性」と、竹中宏氏が言う「写生」は非常に近いといういことがわかっていただけると思う」。現俳協シンポ「句集をめぐって」レポートは西原天気さん。
すごいですね、しかし、2012年の週刊俳句は。2013年の週俳も、負けないようにがんばります。
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2012-12-30
「週俳の2012年」回顧 〔1〕一月~三月
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